広島・長崎原爆投下再思考


I may want to convey to President Obama
「Do you know that the road around the A-bomb Dome was pure white with human bones?」
「For a while even after many years it seems to have been white road with human bones.
That's right children were playing on it.」

知っていましたか・・・
原爆ドームの周りの道路の下は・・・・・粉々になった
人骨だらけだそうです・・・

何年も経った・・後も暫くは人骨で白い道路だったそう
で・・その上で子供達は遊んでいたそうですよ

片付けようが無い状況だったのでしょう・・
その上にアスファルトが敷かれ舗装されているのです

或る広島原爆の記録 2012/8/3(金) 


Combatant and noncombatant men and women, old and young, are massacred without discrimination by the atmospheric pressure of the explosion(of the atomic bomb), as well as by the radiating heat which result therefrom.

老いも若きも、戦闘員も非戦闘員も、男も女も無差別に、原爆の炸裂で生じる放熱と同様、爆風で虐殺されている。

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Dwight D. Eisenhower wrote in his memoir The White House Years 

During his recitation of the relevant facts, I had been conscious of a feeling of depression and so I voiced to him my grave misgivings, first on the basis of my belief that Japan was already defeated and that dropping the bomb was completely unnecessary, and secondly because I thought that our country should avoid shocking world opinion by the use of a weapon whose employment was, I thought, no longer mandatory as a measure to save American lives. 

彼が関連した事実を読んでいる時、私は憂鬱な感覚に気づき、そうして私は、先ず私の信念に基づき、私の重要な不安感を彼に言い表した

それは、日本は既に敗北していたこと、及び原子爆弾を落とすことは完全に不要であったこと、および、次に

私は、私たちの国が、採用した武器を使用することによって世界の世論に衝撃を与えることは避けるべきであると思った故に。私はアメリカ人の命を救うための対策として、原爆投下はもはや必須と思っていない。、

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Other US military officers who disagreed with the necessity of the bombings include General of the Army Douglas MacArthur , [77][78]Fleet AdmiralWilliam D. Leahy (the Chief of Staff to the President), Brigadier General Carter Clarke (the military intelligence officer who prepared intercepted Japanese cables for US officials), Fleet Admiral Chester W. Nimitz (Commander in Chief of the Pacific Fleet), Fleet Admiral William Halsey, Jr. (Commander of the US Third Fleet), and even the man in charge of all strategic air operations against the Japanese home islands, then-Major General Curtis LeMay :


原爆投下は必要がなかったとする他の米国陸軍将校は、

● 陸軍元帥ダグラス・マッカーサーを含む、
● フリートAdmiralWilliam D.リーヒー(首席大統領補佐官)、
● カータークラーク准将(米政府当局者用、日本の無線を傍受する軍隊の諜報部員)、
● 海軍元師チェスターW.ニミッツ(太平洋艦隊の最高司令官)、
● 海軍元師ウィリアムハルゼー、Jr.(米国第三艦隊の司令官)、、
● そして、日本の有人の島々に対するすべての戦略的航空作戦の担当であった男でさえも、それと、少将カーチス・ルメイ

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The use of [the atomic bombs] at Hiroshima and Nagasaki was of no material assistance in our war against Japan.The Japanese were already defeated and ready to surrender because of the effective sea blockade and the successful bombing with conventional weapons ... The lethal possibilities of atomic warfare in the future are frightening.
My own feeling was that in being the first to use it, we had adopted an ethical standard common to the barbarians of the Dark Ages.I was not taught to make war in that fashion, and wars cannot be won by destroying women and children.
— Fleet Admiral William D. Leahy, Chief of Staff to President Truman, 1950, 

広島と長崎の[原子爆弾]の使用は、対日戦争で全く不必要であった。日本はすでに破れ、効果的な海上封鎖、および通常兵器による好結果の爆撃により、降服する用意ができていた… 。未来の核戦争での殺人の可能性にはぎょっとする。

私自身の感覚は、それを使う1番目である時に私達が暗黒時代の未開人の標準共通倫理を取り入れたことであった。

私はそのやり方で戦争をするようにと教えられていなかった、戦争は、女性や子供を破壊することによって勝利することはできない。

--海軍元師ウィリアムD.リーイ。トルーマン大統領の参謀総長、1950、

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The atomic bomb had nothing to do with the end of the war at all.
— Major General Curtis LeMay , XXI Bomber Command , September 1945, 

原子爆弾は戦争の終わりと全く関係がなかった。
--カーティス・ルメイ少将、XXI英空軍爆撃司令部、1945年9月

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The first atomic bomb was an unnecessary experiment ... It was a mistake to ever drop it ... [the scientists] had this toy and they wanted to try it out, so they dropped it ..
— Fleet Admiral William Halsey, Jr. , 1964, 

最初の原子爆弾は不要な実験であった… それを落とすことさえ誤りであった… [科学者]はこのおもちゃを持ち、彼らはそれを試したかった。従って、それらはそれを落とした。。
--海軍元師ウィリアムハルゼー、Jr.、1964 、



ベラスコの告白
広島原爆はナチス製のウラン型だった
長崎原爆は、アメリカ製プルトニウム型だった


ヒトラーは「ゾンデルブーロー第13号」と称される極秘の爆撃機でロンドン、リバプールの上空でナチス製原爆を投下する予定だったが至らなかった。未投下の理由は、ヒトラーが「死体はもうご免だ」と言って、中止を命じたためだった。

ナチス製原爆は、ドイツの英雄ロンメル将軍麾下のシュパイデル参謀長が管理した。アフリカ戦線から撤退したロンメル将軍は、反ヒトラーグループ「黒いオーケストラ」と内通し、ベルギーに根を張る国際金融資本のコネクションを通じて、ナチス製原爆を1944年11月にアメリカのアイゼンハワー連合軍最高司令長官に引き渡した。

ベラスコは言った。「広島に投下された爆弾が、即、ナチス製の完成品そのものとは思えない。多分そのナチス製の原爆にアメリカ国内で更に工夫をこらして仕上げ、そして広島に投下したのだと思う。」

興味深いことに、大戦終了後に設立されたNATO北大西洋条約機講)の初代事務総長は、なんと敗戦国ドイツの西部方面司令官ロンメル将軍の参謀長ハンス・シュパイデルである。

ナチスの原爆の管理担当者が、戦争終了直後に、それまでの敵軍つまり連合軍側の形を変えた総合責任者になれたのは何故だろう。シュパイデルは連合軍にどんな貢献をしたのだろうか。

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我々は一口に原爆というが、広島と長崎では別タイプ(威力も含めて)のものであることを忘れがちになる。

広島に投下された原爆はウラン型だった。次の長崎は性格の違うプルトニウム型で、しかもこのプルトニウム型原爆は、長崎の次の目標地にも準備された型であった。

広島投下1ヶ月前の1945年7月16日、アメリカは、ニューメキシコ州アラモゴードでマンハッタン計画に基づいて開発された原爆の実験に始めて成功する。この時の原爆はプルトニウム型であった。

ここで重要なことは、ウラン型原爆は現在でも開発されていないということである。つまり広島に投下された原爆(ウラン型)は実験済みの原爆ではなくて、人類に対する最初にして最後の原爆だったのだ。

※ 「ナチ党」の正式名称は、「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」である。

一般に、「ナチ(NAZI)」という呼称は、当時の政敵、後には連合軍が使った蔑称であると説明されている。

しかし、別の裏情報によると、「ナチ(NAZI)」の本当の意味は、
「国際シオニスト連盟 (National Association of Zionist International)」だという。
「Zionist(シオニスト)」とは、イスラエル回帰を求めるユダヤ人の原理主義者の集まりである。(注)イコール『コミンテルン』『ワンワールド主義』

広島・長崎に投下された原爆の秘密①


1945年7月下旬、全面降伏のポツダム宣言受諾を原爆投下まで待てと言われた昭和天皇は、8月6日広島、三日後の9日長崎への原爆投下後の8月15日、終戦詔書」の玉音放送を8月14日に録音、翌15日、ラジオ放送で全国に報道させた


1945年8月6日、日本の上層部は原爆投下任務のB29『エノラゲィ』が広島に飛んでくることを知りながら出撃命令を出さず、空襲警報も出さず。昭和天皇の命により急遽全国から集められた数万人の日本帝国陸軍将兵広島市民が朝のラジオ体操をしている時、皆殺しには絶好の時間帯に原爆を投下させた。


私見
1945年8月6日朝、広島で戦闘機隊に出撃命令を出していたなら・・・。
戦闘機『紫電改』の搭乗員が、出撃命令さえあればB29を撃墜出来たと証言していましたからね。


広島の上空に飛来したB29は『エノラゲイ号』。
それよりやや先行して飛んでいたのがB29『グレート・アーチスト』 
広島市南方で待機していたB29が『ネセサリー・エヴィル号』

日本軍は、原爆を積んだB29『エラノゲイ』が広島に飛んでくることを知っており、然も8月6日の朝、その『エノラゲイ』が広島に迫っていることを察知したにも拘らず、出撃準備体勢にある戦闘機隊への出撃命令は出されず。空襲警報も出されず。

天皇の命令により広島に急遽各地から食糧不足になるほどの数万人も集合させられた大日本帝国陸軍将兵広島市民が、校庭等でのラジオ体操で一斉に外にいた時、原爆は頭上で炸裂した。

例外的に生き残ったのは、事前に原爆攻撃を知らされていた第2総軍の司令官・畑俊六だけであった。

尚、長崎の場合でも然り。9日未明、軍上層部はB29が長崎に原爆投下することを事前に知っていたが、広島と同様、何らの動きもせず、無防備な長崎にどうぞとばかりに原爆を投下させた。

更に述べると、広島原爆投下の10日前の7月26日に受け取ったポツダム宣言7月末に受諾であったが、米国に原爆を落とすまで待てと言われ、8月、広島・長崎で原爆2発の炸裂後、昭和天皇は「終戦詔書」の玉音放送を8月14日に録音、翌15日、ラジオ放送で全国に報道された・・・・・。

仮説:米国の意向を受けた昭和天皇は、日本帝国陸軍の核となる将兵数万人を急遽広島に集合させ、然も、将兵も市民も朝のラジオ体操で全員が校庭などで無防備な状態の時に原爆を投下させた。

B29を体当たりで撃墜した若者と、撃墜を禁止した日本のトップ 2015/8/10(月) 


反日を謳う中国共産党政権が、批判の矛先を絶対に向けない唯一の存在が、天皇である。それは何故か。


日本の天皇中国共産党政府との関係 2015/5/25(月) 

毛沢東トウ小平から習近平までの中国歴代最高指導者はみな天皇を大事にしている。

本来ならば、労働者を結束させて革命を起こした共産党が、世襲君主制に対し批判的な立場をとるはずだが、天皇に限って、中国共産党の指導者たちはそのそぶりを全く見せなかった。

中国側の外交記録などによれば、中国建国の父、毛沢東が1950年代から1970年代にかけて、訪中した多くの日本人と会談したが、別れ際に「天皇陛下によろしくお伝え下さい」とよく口にしていた。

私見

大東亜戦争終戦以降今日まで強烈な反日中国共産党政府が天皇を糾弾せず、寧ろ称(たた)えてきたのは、もしも昭和天皇戦勝国(米国や中国)側の存在であったとしたら納得できるのではないのか?

1945年9月、天皇と米国の広島・長崎への二つの原爆に関する動きからそのようにも見受けられる。


大東亜戦争(太平洋戦争)が始まる前に、昭和天皇の側近である木戸幸一内大臣の日記より。「日米は開戦し、それにソ連が参戦し、日本は負けて、米国とソ連が勝利する。日本は敗戦から10年後に復活する」・・・つまり、昭和天皇は既にこのことを知っていたことを意味する。


第二次世界大戦に参戦したいルーズベルトは、戦争反対を掲げて大統領に就任した故に、米国民に参戦を納得させなければならない。

そこで、かって米国に留学したことのある帝国海軍大将の山本五十六を使って、真珠湾を攻撃させ、見事、米世論を参戦賛同に導いた。



ブロク書庫『米国とは?』目次と要点(1)
米国とは?目次


Roosevelt's Secret Pre-War Plan to Bomb Japan
Historical News and Comment
By Mark Weber

Pearl Harbor: Fifty Years of Controversy
Charles Lutton

Debate over the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki