日本の天皇と中国共産党政府との関係


昭和天皇大東亜戦争(太平洋戦争)の戦犯とされなかったのは何故か?

(註1)戦前、天皇は、帝国議会を自分を補佐する機関として扱い、そこで事実上、議会を指図する意味をもった「勅語」をのべたりしていた。


終戦から今日までの70年、日本共産党は『天皇制廃止』を唱えるも、中国共産党政府は日本の天皇を批判・糾弾せず、寧ろ、賞賛してきたのは何故か?

(註2)日本共産党は「天皇制廃止」論者。
(註3)日本共産党は「帝国議会の儀式を引き継ぐもので、憲法の国事行為から逸脱するもの」であるとして現行の開会式を批判し、「憲法国民主権の原則を守る立場」から出席しないとしている。

⇒(註1)(註2)日本共産党中央委員会
いま日本が必要としているのは民主主義革命
⇒(註3)ウィキペディア 国会開会式


下記の産経北京特派員の記事を読むと、ある程度の終戦以降の中国共産党政府の事実はそのまま書いているが、事実の著述以外の部分はいかにも北京特派員らしい内容となっている。

さて、この記事を読んでのご感想・ご意見は?



反日を謳う中国共産党政権が日本の天皇に矛先を向けない理由
NEWS ポストセブン 5月18日(月)

あれだけ反日を謳う中国共産党政権が、絶対に矛先を向けない唯一の存在が、天皇である。天皇の持つ歴史や権威が中国にとってそれだけ特別なのはなぜか。産経新聞中国総局(北京)特派員の矢板明夫氏が解説する。

 * * *

 天皇皇后両陛下が4月、戦没者を慰霊するためにパラオを訪問したことを国営新華社通信などの中国の官製メディアが報じたが、日本絡みのニュースを伝える際によく使う批判的な表現はなく、「平和を祈念」「不戦を誓う」といった見出しで好意的に伝えている。(中略)

しかし一方、習政権による日本叩きのターゲットは安倍首相など政府要人に絞られ、皇室に対しては意図的に批判を避けている。それだけではなく、中国メディアはよく陛下の「平和への思い」などを紹介している。天皇軍国主義を復活させようとしている安倍首相と距離を置いていることを意図的に国民に印象づけようとしているようにみえる。

 中国はよく歴史問題で日本を批判するが、天皇の戦争責任に言及しているのはほとんど歴史の学術書だけで、メディアの報道では、歴史問題と関連づけて天皇を批判することは全くない。

中国メディアのこうした姿勢が共産党宣伝部の方針であることは言うまでもない。天皇を政治利用して日本の世論を分断したい思惑があると指摘される。

また、毛沢東トウ小平から習近平までの中国歴代最高指導者はみな天皇を大事にしている。

本来ならば、労働者を結束させて革命を起こした共産党が、世襲君主制に対し批判的な立場をとるはずだが、天皇に限って、中国共産党の指導者たちはそのそぶりを全く見せなかった。

長い伝統をもつ日本の皇室に対する中国の指導者の憧れやコンプレックスといった複雑な感情が背景にあるかもしれない。

 中国側の外交記録などによれば、中国建国の父、毛沢東が1950年代から1970年代にかけて、訪中した多くの日本人と会談したが、別れ際に「天皇陛下によろしくお伝え下さい」とよく口にしていた。

1956年に訪中した遠藤三郎元陸軍中将との会談で「私たちは日本の天皇制を尊重している」と言明した。

また、1972年に日中国交回復の交渉のために訪中した田中角栄首相と会談した際も、毛から天皇の話題を切り出し、「唐の時代の高宗皇帝も『天皇』の称号を用いた」などと語り、天皇への関心の高さを示した。(以下省略)




いかがでしたでしょうか。



私見

大東亜戦争終戦以降今日まで強烈な反日中国共産党政府が天皇を糾弾せず、寧ろ称(たた)えてきたのは、もしも昭和天皇戦勝国(米国や中国)側の存在であったとしたら納得できるのではないのか?

1945年8月、米国が広島・長崎に二つの原爆を落とすまで、昭和天皇は無条件降伏の玉音放送を8月15日まで待った。

8月6日広島への原爆は、何故か空襲警報は出されず、何故か待機していた迎撃機も発進されず、天皇の命令により広島に急遽集合させられた数万人の大日本帝国陸軍将兵の頭上で炸裂した。

例外的に生き残ったのは、事前に原爆攻撃を知らされていた第2総軍の司令官・畑俊六だけであった。無論、米兵捕虜は、事前に広島市内から郊外に移されていた。



(※)上記の件は、下記の動画を観ればある程度分かります。
但し、NHK報道は8割までは事実。2割は捏造と思って見るべし、ですね。

NHKスペシャル 原爆投下 活かされなかった極秘情報 
(動画↓)

イメージ 1

“想定外の奇襲”とされてきた広島・長崎への原爆投下の動きを、日本軍は事前に察知していた。
被爆から66年。初めて明らかになる真実に迫る。

“想定外の奇襲”とされてきた広島・長崎への原爆投下。実は、日本軍は米軍の動きをつかんでいたことが明らかになってきた。

当時の資料や当事者の証言などから、国民の生命の安全よりも、国の担当者の事情やメンツを優先させた驚くべき実態が浮かび上がる。

情報をつかみながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。

【収録内容】
広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。

しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。

日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動する部隊。不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。

8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。

そして、9日未明にも再び同じコールサインを傍受、情報は軍上層部に伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。



今回はここまで。
詳細は何れ後日に。

日本の近代史とは