白梅が六分咲き
この地は苔山と呼ばれ、地元ではこの墓碑を『こけじんさん』と呼び、いつも花がたむけられ、お賽銭もあがっています。
今年もこの周辺では例年でしたら最も早く咲くこの碑の白梅が咲いたかなと思い、先月と今月上旬に見に行きましたがチラホラ。一昨日20日(金)に行きましたら、6分咲程。もう一度暖かくなると満開になるでしょう。(画像の左側)
この碑から眺める東の空の日の出。
手前は御所ヶ池。左、遥か向こうの小山は石清水八幡宮うの男山。
メジロとの遭遇を期待したけど、会えなんだ。
尚、京都の北野天神さん(北野天満宮)などの京都の梅は、例年、ここが満開になってから見頃に入るから、未だ蕾のようです。
(京都の梅情報 2015:京都新聞)
御所ヶ池の鴨
珍しくも川鵜がいた。
◆ ◆ ◆
画面は、夕暮れのJR島本駅西口への小径。
画面左は東海道線を走る電車。
その先の画面中央右寄りの照明で最も白く輝く所がJR島本駅プラットホーム。
この画像は、夕刻、駅から北へ数百メートルの『桜井村踏切』付近から撮ったものですが、朝のここでは度々母親と一緒に行き交う電車をじっと見つめてたたずむ2~3歳の幼児を見かける。やはり男の子。電車を相当好きなようだ。
(場所)
待宵小侍従の碑(顕彰碑)は、地図の左下。赤〇に白抜きの④
桜井村踏切は、地図右上。赤〇に白抜き㉑と島本駅との中間の踏切。
(島本町役場サイトより一部切り取り)
(参考)
あまのさんの(「辛酉夜話」掲載)長年の研究調査によりますと下記の様に書かれております。
待宵小侍従は『平家物語』5巻の「月見」に登場します。
ある時、太皇太后多子より、「男の訪れを待つ宵と、翌朝男の帰る後朝(きぬぎぬ)の別れと何れが哀れが勝るか」との仰せがあり小侍従は即座に、
「待つ宵の更け行く鐘の声聞けば帰る朝(あした)の鳥はものかは」
とお応え申し上げ、其の和歌の情趣と即詠の才は小侍従の名声を高め、「待宵の小侍従」と呼ばれるようになった」、と言われております。
「今夜、小侍従と合せ、二番勝つ。存外の面目なり」。
時に小侍従八十才、定家三十八才
待宵小侍従の碑(顕彰碑)
碑銘
待宵小侍從者姓紀氏武内宿祢苗裔石清水別當
光清娘也仕近衛皇后多子治久四年八月中旬
徳大寺左大将藤原実定自福原帰洛一夕請皇后
月 時 小侍從陪侍翌朝帰福原使蔵人伝語因示倭歌
小侍從酬之多子者実定妹也小侍從好和歌誉
有待宵聞鐘之語故祢曰待宵小侍從其所詠歌多
載在歴代勅撰可謂閨秀也俗伝攝津高槻城
畔一里許有其古跡聊記之以為証焉
慶安三年春三月 日 日向守永井氏直清置