中国人民の日本旅行の価値


興味深い記事がありましたので、その一部を抜粋し紹介します。

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先ずは、要旨として私見を混じえて。

中国人民は歴史をせいぜいこの100年間+α分しか知らない。
それでは古代から現代までの歴史を何から学ぶのか?
それは日本の著作物からである。
換言すれば、中国人が誇りに思う『中国史』とは、日本の発明品である。

他方、中国人は、戦後、世界が絶賛する『武士道精神&大和魂』をアメリカのプロパガンダにより、イコール、軍国主義と揶揄(やゆ)しているが、『武士道精神&大和魂』の根底に流れるのは中国から伝わってきた『儒教』であり、それが日本で独自に開花したものであることを知らない。

中国人が日本に旅行し、賛美する日本の姿とは、『武士道精神&大和魂』(=儒教)が俗世間に根付いたものであることに気がついていない。

中国人が日本に旅行し、日本を賞賛する際の心の中にあるのは、母国(中国)の現状との比較からである。或は、中国政府の言う悪辣日本と現実の素晴らしい日本との大きな乖離(かいり)の啓蒙である。


(注)儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教える。

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以下、本文

中国・訪日ブームの陰で気づいた対日認識の根本的な欠陥 
「知日」不足に悩む中国  2014年09月18日(Thu) 
平野 聡 (東京大学大学院法学政治学研究科准教授)


(抜粋1)
中共反日愛国宣伝は現実の日本と合致しない・・・・(中略)、
彼ら(中国人旅行者)の日本に対する絶賛は、ことによると「中国こそ世界で最も親日なのではないか」と思わせるほどである

筆者が見聞した範囲でも、彼らは深呼吸できる清潔な空気と青空を絶賛し、顧客至上のサービスに感動し、何事も平穏に秩序立っているさまに新鮮なショックを受ける。

 彼らは一応日本に到着するまでは、中国で反日暴動が吹き荒れたのと同じく、日本でも中国人であるがゆえに同じ被害を受けるのではないかと心配する。

しかし実際にはそのようなことはないため、安心しきって日本を楽しみ、その見聞がブログや微博(ミニブログ)で事細かに語られる。

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(参考)私のブログ記事
中国人民の心の微妙な変化  2014/4/17(木) 
(参考)「涙で写真が見えない!」「日本人には1000年たっても追いつけない!」=中国ユーザーが感動した日本の施設とは  2014年10月26日 18時9分
http://www.recordchina.co.jp/a96349.html  レコード・チャイナ 
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そこで「ならば自分も、実際の日本はどうなのか。共産党のいう通りなのか見てみたい」という好奇心が加速度的に沸き起こり、日本旅行ブームが吹き荒れつつあると解釈できる(中国に限らず、急激な訪日客増加とネットの普及は切っても切り離せないだろう)。

(抜粋2)
去る9月11日、中国のメディアは尖閣国有化2周年を大々的に伝えることはしなかったどころか、共産主義青年団の機関紙『中国青年報』が「日本をより多く知ることは悪くない」と題する論説を掲載しサイト内アクセス数1位を記録するほど注目を集めた。
(注)この大反響を呼んだ論説原文は、この記事の後半に掲載しております。

曰く、両国間の緊張関係を緩和するためにもまずは日本を研究し理解しなければならず、それは歴史の原則を捨てて日本に媚びることではなく、歴史を知るにも怨みを以てするべきではない、という。約1週間後に満洲事変記念日(中国から見れば国恥記念日)を控えているタイミングとしても思い切ったものでもあろう。

(抜粋3)
「言論NPO」が先日明らかにした、中国に好感を持たない日本国民の割合が93%に達したという調査結果は、「正しい中国、反省する日本」という論理によって中国が利益を受ける図式が完全に終わったことを意味する。

これこそ、戦後約70年という歴史的段階から別の歴史的段階へと移行しつつあることの表れではなかろうか。

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講談社『中国の歴史』が中国で大ヒット 
日中のソフトパワーに圧倒的な差

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(抜粋1)
日本を「中国の映し鏡」ではなく他者としてとらえるべきと気づき始めた一部の中国人のあいだでは、一歩踏み込んで日本研究・日本認識の一新を求める動きもある。


(抜粋2)
「日本は中国の期待通りには動かない」

去る7月に発表されたこのエッセイは大反響を呼び、さっそく上海で姜氏や他の知日派「大家」執筆陣を招いた公開サロンが開催され、極めて熱い討論が展開された(http://dajia.qq.com/blog/453611123475668)。筆者(平野)のみるところ、パネラーの一人・劉檸氏の意見が光っていたので紹介したい

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下記は、その劉檸氏の意見

你所知道的日本是否是这样的   大家 9月4日13:57

宫崎峻的最新作品《风起了》就引起了激烈的争论,片中他宣扬了一个很暴力的机器,就是零式战机,但这个零式战机在宫崎峻的眼里又是很美丽的。
(以下中国語原文は省略)

あなたは、日本はそのようであると知っていますか

 例えば、宮崎駿氏のアニメ映画『風立ちぬ』は、中国において「尊敬するアニメの神様が何故、軍国主義の象徴=零戦を賛美する映画をつくったのか」という巨大な当惑を引き起こしたという。

これについて劉氏は「例えば宮崎監督の場合は飛行機というモノへの思慕が第一日本は知れば知るほど、自分から遠ざかって行くように見える

そもそも中国人が自分の期待によって日本を捉えようとしても、日本はその通りではないし、期待通りには動かないことをふまえる必要がある」と指摘する。

 そして「中国人が日本を賛美、あるいは罵倒する際、実際には心の中で中国を語っていることに気づかなければならない

だからこそ日本を語るときに平常心を失ってしまうのだ」と喝破する

。むしろ日本という他者を冷静に、多面的にとらえるべきであり、中国はこのような視線を獲得してはじめて、日本との関係における歴史的な悲劇・トラウマから脱することが出来る、と説く。

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(抜粋3)
しかし、日清戦争=甲午戦争で日本に敗北を喫したのみならず、欧米日の圧迫の中で「天下」の帝国であることを止め、近代主権国家「中国」として生きて行かなくなければならなくなったとき、「天下の歴史」「皇帝・王朝の歴史」ではない「中国の歴史」を国民に知らしめナショナリズムを創出するためには、日本で歴史上蓄積された「中国史」を直輸入しなければならなかった(梁啓超『中国史叙論』)。

したがって、いま中国が称揚する「中国史」とは、日本人が発明したものである

 これだけでも、実は日中両国のソフトパワーは圧倒的に差があることが分かる。これもまた、中国人が日本を知れば知るほど抱くジレンマのもう一つの正体である。

 今春、講談社100周年記念出版『中国の歴史』(2004〜2005年に全12巻が発売された) の中国語版が刊行され日本では各1・5万部程度であったものが中国で10万セット売れたという「事件」が起こった。

(注)『中国の歴史』全12巻のうち、中国語版は1巻~10巻まで。
10万セットが売れたという事は、何と100万部売れたということである。

(抜粋4)
とりわけ講談社は『中国の歴史』出版に際し、個々の巻を担当する研究者が自らの研究の視角や妙味を自由闊達に語ることを推奨した。

その結果『中国の歴史』は、中国文明において伝統的な「中原中心史観」ではなく、北方・西方・海域との多様な交錯を通じてダイナミックに歴史が動き、多様で魅力ある文化が生起したことを明快に示した。

 中国の読者が講談社『中国の歴史』に驚き、大いに歓迎して熱烈に読みふけったのはまさに中国における諸制約とは関係なく説得力ある論旨が展開されそれによって中国人自身が中国の歴史により広い視野を持ちうるようになったからである

(抜粋5)
中国の代表的日本論といえば、清末の外交官・黄遵憲の『日本国志』や、蒋介石の右腕として活躍した国民党の大幹部・戴季陶の『日本論』しかなく、これらはいずれも彼らの任務上の関心に基づいて書かれたという限界がある。

 そして戦中戦後の日本については、主にルース・ベネディクトの『菊と刀』に依拠するのが習わしのようである。

しかしこれとて日本の敗戦直後、米国・西洋からみて理解しがたい日本人の行動様式を在米日本人への聞き取りなどから定型化したものに過ぎず必ずしも内在的な日本理解とはいえない。

 こうなってしまったのは先述の通り、そもそも中国の日本認識史自体が極めて浅いこと (せいぜい100年+α)、ならびにその短い歴史も政治の荒波に翻弄され、腰を落ち着けて等身大の日本を観察する機会を欠いてきたことによる。

(抜粋6)
日本は現在の中国認識に漫然とするべきではない

 総じて長年来、日本は中国についていろいろ知っているこれに対し中国は、「日本の軍国主義」については何でも知っているつもりであったが実は何も知らないに等しかった。

歴史といい現実といい、相手を説明する知識や能力が著しく低ければ、ハードパワー以前にソフトパワーで敗北している。しかもその日本は依然として「集団主義」であり「軍国主義復活中」に見える。それは恐ろしいことである以上、何としてもこの差を埋めなければならない。

(抜粋7)
しかもその可能性は、「新しい中国人」が大量に海外留学し、貪欲に知識や知見を吸収していることからして明らかである。

日本への認識についても、激増した在日中国人は彼らなりに日本を知ろうと懸命であり、その成果はネットや書物を通じて中国国内に流布しはじめている。



(注)
今日、二回目の更新記事

日韓併合時代に感謝する韓国教授




(参考)

サイトアクセス数No.1
共産主義青年団の機関紙『中国青年報』の論評掲載記事

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以下は、記事の原文と訳文。

但し、訳文は自動翻訳サイト(excite)で訳されたもので読解困難ですが、言わんとすることは把握可能と思います。


多了解一些日本不是坏事      2014年09月11日 星期四

多くいくつか日本を理解するのは悪い事ではありません

自日本单方面国有购钓鱼岛始,中日关系滑入冰点。加上近十年,中日两国经济发展的变化和历史等原因,造成两国人民彼此之间的隔膜和不信任。解决当下紧张的中日关系,显然需要决策者的智慧和决断。从百姓层面来看,增加两国民众的了解,对于缓和与改善两国的紧张关系,也大有裨益。

 日本が一方的に釣魚島(尖閣諸島を買って国有化から始まって、中日関係は氷点に陥ります。ここ10年足して、中日両国の経済発展の変化と歴史は原因を待って、互いに信任しない両国の国民の間に隔たりをもたらします。

緊張する中日関係を直ぐに解決するのには、明らかに決定者の知恵と決断(力)が必要です。庶民の方面から見に来て、両国の民衆の理解を増加して、緩和がと両国の緊迫した関係を改善するについて、同じく利益があります。

自中日1972年建交至21世纪初,中日两国基本保持着友好关系。2008年12月,中日韩还在日本的福冈签订了《三国伙伴关系联合声明》,《声明》说:“我们对三国在增进政治互信、加强经贸往来、促进社会与文化交流、扩大财金合作等方面取得的成果感到满意”,而且“我们承诺,在上述成果基础上进一步推进三国合作”。中日两国关系紧张,当然是日本一方挑起的,但作为另一方,中国国内民族主义思朝的兴起也需要反思。其间,一些人对日本历史、文化以及日本的文明方式的不了解,也是诱因之一。


中日の1972年の国交樹立から21世紀初めに至って、中日両国は基本的に友好関係を維持しています。

2008年12月、中日韓はまた(まだ)日本の福岡で《三国のパートナー関係の共同声明》を締結して、《声明》では述べています:“私達が三国の政治を増進して経済と貿易の付き合いを互いに信じて強化する、社会と文化交流を促進する、財政金融を拡大して協力する方面で得る成果に対して満足する”、その上“私達は承諾して、上述の成果の基礎とし1歩向上して三国が協力するのを進めます”。

中日の両国関係は緊張して、もちろん日本の一地方が引き起こしたので、しかし別の一地方として、中国国内のナショナリズムの思朝のは興っても再考が必要です。

その間、いくつかの人は日本の歴史、文化と日本の文明的な方法の理解しないのに対して、誘因の中の一つです。


就拿中国人痛恨的“武士道”一词来说,它就需要我们加深了解。因为众所周知,自1894年的黄海之战到1931年的九一八事变,再到1937年的卢沟桥事变,中国人民在日本侵略者的侵略下,饱受欺凌和杀戮,“武士道”如幽灵噩梦般缠绕着中国人。可以说,“武士道”一度成了日本侵略者嗜血成性的代名词。但是,在110多年前新渡户稻造所著的《武士道》一书里却写道,“武士道,如同它的象征樱花一样,是日本土地上固有的花朵。它并不是保存在我国历史的植物标本集里面的已干枯了古代美德的标本。它现在仍然是我们中间的力量与美的活生生的对象。”

中国人の痛恨する“武士道”の1語を持ちにとって、それは私達が理解に深まりが必要です。

みんなに知れ渡っているため、1894年の黄海の戦いから1931年まで九一八事変、また1937年まで盧溝橋事変、中国人民の日本の侵略者での侵略のもとで、ひどく受けていじめ侮って殺戮して、もし“武士道”は幽霊の悪夢の類は中国人に巻き付いている。

言うことができて、“武士道”は1度日本の侵略者になって血を見たがりました癖になる代名詞。

しかし、110数年前新しくひとつの戸のイネを渡って書いた《武士道》の1本をつくった中に書いて、“武士道、そのシンボルの桜のように、日本土地の上で固有の花です。

それは別に我が国で歴史の植物標本が集まる中のすでにかさかさになった古代の美徳の標本を保存しありません。それは今依然として私達の中間の力と美しい生き生きとしている対象です。”

可见,“武士道”一词在中国词典里是日本人“罪衍”的标识,在日本词典里则是美德的化身。新渡户稻造认为“武士道”渊源有三:一是从中国传入的佛教,一是孔孟之道,一是日本自身发展起来的神道。而在这三者中,孔孟之道是“武士道”的主要渊源。也就是说,“武士道”的渊源来自中华文化和中华文明。那么,对于“武士道”,中国人的理解为什么与日本人有这么大的差别呢?

明らかに、“武士道”の1語は中国の辞書の中で日本人の“罪が広がる”のマークで、日本の辞書の中で美徳の化身です。

新しくひとつの戸のイネを渡ってつくる“武士道”の源が3あると思います:中国から入って来た仏教と、儒学の思想と、日本自身の発展した墓道と。

この7割引の中で、儒学の思想は“武士道”の主要な源です。つまり、“武士道”の源は中華の文化と中華文明から来ました。

それでは、“武士道”について、中国人の理解はどうして日本人のこんなに大きい違いとですか?

 原因当然不在中国,而在日本。明治维新后的两次战争,改变了亚洲的政治和地缘格局且影响深远。一次是1894年的中日战争,一次是1904年的日俄战争。两次都在中国领海和领土上进行,而两次争都以日本大胜为结局,这让日本发现自己成了世界大国,同时也让其在20纪上半叶变得骄横和肆无忌惮。其后,1931年9月18日,入侵东三省;1937年7月7日,发动全面入侵中国的战争;1941年12月7日,偷袭珍珠港,发动太平洋战争……日本在军国主义的旗帜和“武士道”精神下越走越远,穷兵黩武,侵略扩张,背离人类的和平。本来和平宪法让日本在战后高速发展了60年,但当历史步入21世纪后,2003年日本国会却通过了“有事三法案”——《应对武力攻击事态法案》、《自卫队法修改案》和《安全保障会议设置法修改案》,2013年12月国会通过新《自卫队法》和新《防卫计划大纲》修改“和平宪法”,走向军国主义。这些,显然与新渡户稻造110多年前赞美的“武士道”精神,完全没有了关系。

 原因はもちろん中国で、日本にあります。明治の維新の後の2度の戦争、アジアの政治と地縁の構造を変えてしかも影響がはかり知れません。

一回は1894年の中日の戦争で、一回は1904年の日露戦争です。2度はすべて中国領海と領土の上で行って、2度は争ってすべて日本が快勝するのを結末にして、これは日本に自分が世界の大国になったを発見させて、同時にそれを20紀の上で半分葉がとに横暴になってしたい放題をさせる。

その後、1931年9月の18日、入侵東北3省;1937年7月7日、全面的に中国に侵入する戦争を始めます;

1941年12月7日、パールハーバーを奇襲して、太平洋の戦争を始めます……日本は軍国主義の旗幟と“武士道”の精神の下で行けば行くほど遠くなって、好戦的で、侵略は拡張して、人類の平和に背離します。

本来の平和憲法は日本に戦後に60年急速に発展させられて、しかし歴史が歩み入った21世紀以降の時に、2003年に日本の国会は“用事(事件)がある3法案”を採択しました――

《武力に受け答えして事態の法案を攻撃する》、
自衛隊法が案を改正する》と
《安全な保障の会議設置法が案を改正する》、

2013年12月に国会は新しい《自衛隊法》と新しい《防衛する計画の大綱》を通じて(通って)“平和憲法”を改正して、軍国主義に向かいます。

これら、明らかに新しくひとつの戸のイネを渡りと110数年前賛美する“武士道”の精神をつくって、全く関係になくなりました。

 除此之外,日本为推翻满清建立亚洲第一个共和国所“培养”的人才,日本近现代的文学艺术对于中国的新文化运动的影响,日本当代文学艺术对于中国文学艺术的影响,特别是日本的科技与现代管理方式对中国改革开放的影响等,都需要我们有全面的了解。在此基础上,才能更透彻地分析和评判中日关系。

    多读一点关于日本的书,不是媚日,而是为了增加对日本的了解。多读一点关于日本的书,不是放下原则,而是在对日事务里多一些理性。重要的是:记住历史,但不要记住仇恨。从国民层面来说,极积修复两国民众的关系,对于中日两国,对于亚太地区,以至对于世界来说,都应是和平的福音。

 その外、日本はご破算になるために清朝アジア第一個共和国所の“育成”の人材を創立して、日本の近現代の文学の芸術は中国の新文化運動の影響について、日本の現代文学の芸術は中国の文学の芸術の影響について、特に日本の科学技術と近代的な管理方式は中国の改革開放の影響などに対して、すべて私達が全面的な理解がありが必要です。

この基礎の上で、更にはっきりしていようやく中日関係を分析して判定することができます。

    多く日本の本に関して1時(点)を読んで、増加の日本に対する理解ために美しい日、ではありません。

多く日本の本に関して1時(点)を読んで、原則をおろすのではなくて、日の事務に対して中で理性的に少し多いです。重要での:歴史をしっかり覚えて、しかし憎しみをしっかり覚えないでください。

国民の方面から言って、きわめて両国の民衆の関係を修復するのを積んで、中日両国について、アジア・太平洋地域について、そのために世界にとって、すべて平和な福音のはず。

(原文URL)