53年ぶり高校の同級生との再会

 
2014年2月
鎌倉に妻と行ったときのことです。

ある施設に夕方行き、妻はそこに宿泊することになっていました。
そこはツインルームで、先客のおばさんが既にベッドで横になっておられました。
私は妻をその部屋に残し、予約しているホテルに行きました。

翌朝、再度その施設の妻の宿泊した部屋に行きましたら、妻と同宿した女性(以下T夫人と称す)は私を知っていると言うのです。

前夕、妻とT夫人が挨拶をし合ったらT夫人は秋田在住だという。
秋田県人ということで更に聞いたら出身は本荘だという。

更に更に「うちの主人(私のこと)も本荘出身。何年生まれですか?」と聞くと、私と同じ歳で然も私を知っており、然も私と同級生だという。

私は改めてT夫人を見つめ、旧姓を聞きましたが記憶にない。
然し、話は合う。

では一体、T夫人は何年生の時の同級生か?
中学1年から高校3年までの私の知っているうろ覚えながらの30人前後の同級生の名前を次々と言ってみました。

彼女の親友は同級生のW・Y子さんだという。
W・Y子さんは高校時代の3年間を通して私と同じクラス。

高校時代の同級生で女の子の名前が希薄なのは2年の時のクラス。
私がT夫人の記憶が無いということは、この2年の時の同級生ということになる。

T夫人は高校2年時代の私の評価を私の目の前で妻に言う。

「この人は頑固者で一度言ったら絶対変えない」 ヽ(´▽`)/
「この人は奥さんが考えているよりも遥かに頭がいいの。ガリ勉タイプではなく、勉強しなくても出来るタイプ」 (←褒めすぎ)
「この人、いつも皆を笑わすのよ。よく笑わせましたよ。お笑い芸人みたいなネタで笑わせるのではなく、その場その場のどういうのかしら。アドリブですね」(←事実)

      ☆

彼女の高校時代の昔話で思い出したこと。

私は1961年(昭和36年)地元の秋田県立本荘高校に入学。
各学年は普通科7クラスに商業科1クラスの計8クラスで総員約350名。

普通科クラス分けは入学試験の成績順で1番から50番までが1クラス。
以後50番刻み毎1クラス。
この高校1年の時、私は50番以内でしたが、T夫人は100番以内のクラス。

入学時、私の座席の右列の一つ後方には、入学試験トップの柚子さん(仮称)。

中学時代のクラスは別で話したこともなかったけど、お互い兄同士が同級生ということもあり、私は休憩時間でも授業中でも後ろを振り向いて彼女と話していたの。

授業中、教師から何度注意されたことか。
それでも頑(かたく)なに話をしていたのです。

私が前を向いて授業を聞いていると、私の口から無意識のうちに言葉が出る。

今でも授業中、皆を笑わせたアドリブの中の一つだけが記憶にある。

英語教師 「ある物を限定する時は必ず名詞の前に限定詞のtheとかが付きます」
私 「Only you!」
皆、爆笑。授業一時中断。
 
(参考)プレスリー
The Platters - Only You

       ☆

同級生の男子数人が私に同じ質問をしてきましたね。

「水無瀬君はどうして柚子さんと気楽に話せるの? 僕なんかは顔を見合わせただけで緊張して言葉が出てこない」

二人目までは何の気にもしませんでした。
一学期の終わり頃に三人目から言われたとき、改めて柚子さんを見つめました。

確かに発声はか細いがしっかりとした声色。
聡明さと透き通るような白く輝く肌。

程よい胸の膨らみ。
引き締まったウエスト。
ピチピチした健康そうな臀部の丸み。
後ろ姿などは、臀部から始まるしなやかに伸びる脚線の美しさ。

遠くにいても彼女の姿だけは白く輝くのです。
他の女生徒達には決して無いオーラが漂っていたのです。

気づかなかったといおうか、気にもしていなかったですね。それまでは。

                   つづく


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そう言われれば・・・鈍感な私  2014/6/27(金) 



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