高齢化の街での学生さま


先日の民放TVで、昨今の市営住宅は空家が多発。
市はその対策として、その空室に学生を住居させた。
但し、低家賃だが入居条件として決められた町内会の行事に参加するというもの。

昨日の記事では、高齢者民家の空き部屋を学生に貸すというもの。
私は『成る程、歴史は繰り返す』と思いました。

古来、江戸時代の滝沢馬琴が書いているように(馬琴「羇旅漫録1802」、「京都坊目誌」「京町鑑」)、洛中(京都の市街地)は遊郭だらけ。

と言っても遊郭の人気の場所は変遷していますし、すたれる街もあります。
決定的に洛中にダメージを与えたのが昭和32年の売春禁止法。

これで洛中から娼婦が去り、妓院や間貸ししていた民家は空き部屋だらけ。
この空き部屋の新たな賃借人は学生。

つまり、かって洛中を支えてきたのが「花の街・京都」の娼婦たち。
それが学生に代わったのですね。

無論、学生は部屋代での貢献のみならず、消費の面に於いても。
つまり、昨今の高齢化の街では『神さま、仏さま、学生さま』の復活ですね。
                 ヽ(´▽`)/

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《昨日の記事》

高齢者と学生をマッチングさせる「下宿らうど」--年内に100件目指す
CNET Japan 5月1日(木)11時26分配信

バズーは5月1日、「空き部屋を持った高齢者」と「親元を離れる学生」のマッチングを目的とした「下宿らうど」を開始した。このサービスでは、まず高齢者が有効活用したい空き部屋を登録し、その中から学生が部屋を探す。学生は自分が通う大学、キャンパスに近い部屋を一覧から選択できる。バズーは年内に100件のマッチングを目指す。(以下省略)

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私のブログ記事 学生の街となった京都》

●ほっこり京都人(1)遊郭の街だった京都
 
江戸時代、滝沢馬琴の記述によると、「およそ洛中半は皆妓院なり」であった。
実は京都のあの狭い洛中に、64箇所も遊女町が有った。
(馬琴「羇旅漫録1802」、「京都坊目誌」「京町鑑」)


●ほっこり京都人(7)学生の街・京都の歴史的わけ

《初めて見たうなぎの寝床》《学生の街・京都とは》《今もダニと闘うお茶屋さん》

《学生の街・京都とは》
昭和32年春以降、娼妓に代わって、ここに入居したのが、京都の学生達なのです。

京都は、学生の街と言われていましたね。京都の人が、学生を歓迎し重宝した理由の一つは、空いた小部屋や間借りに、これら学生が入居してくれたからです。

つまり、明治時代以降、洛中の花街は移転や順次規模縮小するのと並行し、それに従事する女性が減少。
去った後を、大学生さんが埋めてきた歴史の所産なのですね。

大学生を丁重に扱わないと、他の家に変わられたり評判が悪くなったりし、入居者がいなくなります。
これは、消費でも同じ事が言えるのです。

大学生は娼妓に代わる貴重な消費者でした。
畢竟、「花の街・京都」から、学生をチヤホヤした「学生の街・京都」となりました。

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