詐欺のキーワード


今日も脱線し、クリックしていったら意図しない方向に向かってしまいました。
まぁ、井戸端会議のつもりで記事を掲載しておきます。

その前に、下記のユーチューブからどうぞ。

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海外(タイ)の感動できるCMパンティーン 耳の聴こえないバイオリニスト


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さて、井戸端会議用

詐欺って、成立すべくして成立する。
キーワードは、勝谷氏によれば、『原爆2世』『障害者』『クラッシック』で、凡人がなかなか踏み込めない分野だそうです。

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佐村河内守ゴースト騒動】佐村河内は両親も酷すぎ!母は嫁の奴隷扱いに同意・父は息子の嘘を擁護

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記事によれば佐村河内守氏は1963年に米の配達をしていた父「克成」と母「洋子」の間に生まれ、少年時代から虚言癖があったとされています。

高校卒業後に「石原軍団の専務が親戚だから」と語り石原軍団に入ると言っていたのも、そんな親戚はいなかったことが明らかにされており、実際は高校卒業後、京都の太秦撮影所で東映の大部屋役者になったようです。

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佐村河内氏は悪役商会の俳優「山本昌平」氏の娘と東京で同棲していたものの、同時に現在の妻である香さんとも、東京・広島の遠距離恋愛をしていたということで二股をかけていたことも明らかにされています。

山本昌平氏の娘と別れたあと、広島へ戻った佐村河内氏は香さんと結婚し、横浜へと引っ越しますがこの時期から仕事はろくにしていなかったようで、香さんの母親による暴露が記事でも大きな役割を果たしています。香さんの母親は佐村河内守氏にも、そしてその母親にも嫌悪感を抱いているようで、このように述べています。(以下省略)



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佐村河内の妻の母は、『日刊スポーツ』などの取材に対し、16年間佐村河内夫妻と音信不通であることを明かした上で、交響曲第1番の指示書について「あれは娘の字です」と語った。

また、「佐村河内は高校時代、娘の弟の友人を騙って娘に近づいた」「(佐村河内は1988年ごろ)通勤途中に自分の不注意でジーパンが破れたのに、会社にお金と代わりのジーパンを請求していたみたい。

やはりあの子(佐村河内)はおかしいと思った」「15年前、(自分の)知人から『佐村河内は今、耳が聞こえない』と聞いた時、また嘘をつき人をだまそうとしているんだと直感した」「佐村河内の家にはピアノがなく、曲を作れる子でもなかった」「違う人が作っていると確信していた

いつかバレると思っていた」と語った。娘(佐村河内の妻)に対しては「早く離婚して広島に戻ってきてほしい」、ゴーストライターであることを告白した新垣隆に対しては「感謝しています。勇気のいることだったと思う。

会ってお礼を言いたい」と述べた。佐村河内の妻は、幼少期からピアノを弾いていたいう。

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週刊誌『AERA』は、2013年6月にインタビューの掲載を見送った経緯を明らかにした。

インタビュー取材終了後、帰りのタクシーが到着してインターホンが鳴った際に即座に立ち上がって「来ましたよ」と言うなどの振る舞いがあったため、取材後に複数の関係者に確認したところ作曲能力や聴覚障害への疑念が生じ、掲載を見送ったという。

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1963年9月21日、被爆手帳を有する両親の元広島県佐伯郡)に生まれた。高校では演劇部に所属。卒業後は京都に行き、東映太秦撮影所で俳優養成所に通いながら、大部屋役者としての生活を始める。後に悪役商会に入ると言って東京に出る。(中略)

作曲家で音楽プロデューサーの大倉百人(おおくら もんど)に自分の歌が入ったデモテープを渡した。大倉は「声はいいものがある」と評価し、自身の事務所に所属させた。(中略)

大倉はその後2~3社に契約を持ちかけたが、ちょうどその頃、佐村河内の弟が事故死したことや、大倉自身が佐村河内の「虚言癖」に気づいたこともあり、契約を詰めることなく、同年夏頃には事務所を辞めさせた


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佐村河内守ゴーストライターなぜばれた?勝谷誠彦が暴露する理由と真相が...


「矛盾」「食い違い」多数… 佐村河内氏と新垣氏の発言比較
オリコン 3月7日(金)19時43分配信



他方、下記の騙しのキーワードは、『東日本大震災』ですかね。

役所広司、震災記録映画の“やらせ”に怒り「二度と上映されるべきものではありません」  シネマトゥデイ 3月5日(水)17時26分配信
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俳優の役所広司が5日にオフィシャルブログを更新し、ナレーションを務めたドキュメンタリー映画『ガレキとラジオ』での“やらせ”に「この映画は、今後二度と上映されるべきものではありません」と現在の心境をつづった。

同作には、東日本大震災で娘と孫と亡くした女性がラジオで励まされる場面があるが、女性は実際にはラジオを聞いておらず撮影時にラジオを聞いていたのはスタッフの演出だったことなどが明らかになっている。(中略)

続けて役所は「この映画にボランティアとして協力して下さった方は沢山いらっしゃると思います。長い時間を掛けて現地で車に寝泊まりして撮影を敢行したスタッフの苦労は、ドキュメンタリー映画でやってはならない演出で全てが無になってしまいました。

真実の部分は多々あると思いますが、この『ヤラセ』の部分の演出を知っていて作品を完成させた制作側に、大きな責任があると思っています」と制作陣を批判した。(以後省略)