阪神淡路大震災で見せた危機管理
下記の記事は、6年前(2008年)の私のブログ記事です。
現役の方には結構参考になると思いますので再掲載します。
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以下、本文
さて、忘れられない事の一つに、この大地震の時に、決断したある支店長の行動です。
当時、京都に本社があり病院給食を受託している企業の近畿支店のK支店長の実話です。(注)現在の本社は東京都
大地震は1995年(平成7年)1月17日(火曜日)の午前5時46分に発生しました。
彼は、事故の重大さを直感。
社長と連絡をとろうとしましたが、社長は出張中。
だが、彼は社長の宿泊ホテルを把握していませんでした。
だが、彼は社長の宿泊ホテルを把握していませんでした。
彼は決断するのです。
夜も明けきらないうちに、自宅から電話をし、ヘリコプターをチャーター。
チャーター料一日80万円を5日間。
計400万円。
独断と偏見で。
他方、社員には早朝出勤を指示。
おかずも、塩分調整のいるものや、身のほぐしの程度が多様ですからね。
食べてはいけないも等、患者毎にまさに多種多様。
食べてはいけないも等、患者毎にまさに多種多様。
その指示を各病院毎の給食の全現場責任者に午前8時過ぎまでで終えてしまったのですからね。電話が通じなくなるのは、8時半頃から。
それを神戸市内のグランドがある病院へヘリコプターのピストン往復で運んだのです。そこからは人力で、各病院や老人施設に配送しました。
それにしても、いち早くヘリコプターを押さえた判断力と決断力は凄いものですね。
午前八時頃にチャーターしようと電話をした会社もあったようですが、報道関係が既に残る何機かをチャーターしており出来なかったとの事です。
日頃の危機管理と決断力が人並みどころではありませんね。
彼の逸話は、これにとどまりません。
彼が若き時、北関東支店の課長時代、大雨で洪水。
彼は、山の中の川べりに建つ病院が水に浸かっていると直感。
彼は、山の中の川べりに建つ病院が水に浸かっていると直感。
4tトラックに病院用シーツや毛布を山積みし、現場に一人で向かうのです。
途中、通行止め。
彼は止める消防や警察を振り切って直進。
タイヤの高さまでの濁流を走行。
現場病院では、やはり一階に濁流。
病室とリネン庫がやられていたとの事でした。
☆ ☆ ☆
この支店長の話しとは違って、全く信じられない行動をしたのが、うちの㈱ウズマサ神戸営業所の木津所長(仮称)の実話です。
駆けつけた他の社員が、崩れた柱などをどかすには無理でした。
何しろ、2階がそのままの形で1階を押しつぶしていたのですから。
何しろ、2階がそのままの形で1階を押しつぶしていたのですから。
その若い社員は恐らく即死だったでしょう。
その両親に連絡が付き、両親の現場到着が夕方の見込み。
その両親に連絡が付き、両親の現場到着が夕方の見込み。
その所長は、そこにいた数人の部下全員に対し、所長のマンションの部屋片付けに連れて行くのです。
マンションには奥さんがいるのですよ。
せめて、両親が来るまで誰かここに居てあげたい!との要望を一蹴して。
話しは、ここで終わりません。
それから一か月半後、この所長は、大阪支店の支店長に昇進したと言うのですから、うちは何という会社なのでしょうかね。
実は、これも本社京都の会社の実態なのです。
非常事態発生の時に、どう決断し、いかなる行動をとったか、人も企業も、その真価を問われますね。
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(上記記事の私の元ブログ)
『阪神淡路大震災での或る決断』 2008/1/15(火)
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(参考)私の場合
『阪神淡路大震災での対応』 2013/1/16(水)
『阪神淡路大震災でのIM教室』 2013/1/17(木)