外国語とは?


下記の文の前半は、国際派日本人養成講座『なんで英語やるの?』からの一部抜粋したものです。後半は、これに対しての海外在住の日本人の意見です。

私は特に成る程と思える箇所を抜粋し掲載しましたが、さて、あなたはどうお考えですか? ご意見をお聞かせ下さい。

以下、抜粋記事。

■5.真の問題は語学力の不足ではない■

 イングリックを説きながらも、真の問題は語学力の不足ではない、というのが鈴木氏の問題提起である。
 何が国益かという考えが官僚になくて、外国との交渉をうまくやれるはずがない。

 外務大臣に日本を守る、主権を守る、国家の尊厳を守るという固い意志もなく、また、それを支える国民的背景もなくて、ただぺこぺこ謝罪するとか、なだめるとか、ODAの援助を手土産に持っていとかいう形だったら、英語ができようができないか関係ない。[3,p177]

 要するに私は、国際的な場面で日本は英語ができないからかすみだしたのではなくて、日本人のあり方、日本国家の存在がかすみだしたから、持っている英語力さえも、十分発揮できなくなってしまったと思うのです。

 日本人がしっかりしていさえすれば、そして日本が国家としてちゃんとしていれば、たとえ5しかない不完全な英語力でも、それは使い方次第で7にも8にも使えると思う。真の原因は 英語力の不足ではないというのが私の考えです。[3,175]

 この事は、先のクラスでの例を想像してみれば、すぐに分かることである。自分の意見も主張もない学生は、いくら流暢な英語を使えても、存在感のある発言はできない。

 逆に、これだけは主張したい、という内容を持っていれば、必死で語学を勉強し、また十分な発表準備をして、実力以上の発言ができよう。
  
 鈴木氏の言うイングリックなら、日本で大学入試の受験英語をみっちりやった人が、半年も英語漬けで生活すれば、国際会議で丁々発止とやりあうくらいの語学力は確実につく。

 真の問題はわが国の国益代表者達が、国際会議などで本当に国益を守ろうとする意思と智恵があるかどうか、ということである。(以下省略)

■8.「私はアメリカ人ではありません」■

 船橋氏の2)の主張は、外国人移住者を大量に入れて、日本が多民族国家になるべきだ、という「21世紀日本の構想」懇談会報告書の前提に基づいている。

 この主張をドイツにあてはめれば、国内の200万人のトルコ人労働者のためにも英語を第二公用語とせよ、というのと同じで、ドイツ人が聞いたらとんでもない暴論とあきれるだろう。それどころか、ドイツは大量の外国人労働者の存在自体に現在苦しんでいるのである。[b]。
    
 さらに鈴木氏は、在日外国人の次のような発言を紹介している。
        
 私の知っているあるフランス人は「(胸のところを指して)ここに札を下げて『私はアメリカ人じゃありません。英語できません』と書いて日本の街を歩きたい」と冗談を言ったくらいです。
        
 日本人が白人と見るとアメリカ人だと思って、"Are you an American?"などと英語で話しかけるのは、フランス人やドイツ人など非英語国民にとって、不愉快きわまりない、という嫌悪感が在日外国人社会にあることを、鈴木氏は指摘している。

 また日本語ができる外国人は、「日本人は全部が頭のいい秀才でもないのに、一応みんな日本語使っているではないか。

 それなのにその日本語が難しいから、外国人には無理だ、できるはずがないと思っているのは、俺たちが低脳だと思っているのか? これは明らかに人種差別ではないか。」と怒る。   

 鈴木氏はある時、東京駅で、白人の中年の奥さんが乳母車を引いて、二人のちっちゃな子どもを連れ、時々手にした地図を見ているのを見つけた。

 鈴木氏が近寄って「どこかお探しですか?」と日本語で聞くと、習い覚えたたどたどしい日本語で「ワタシ、コノホテルイキタインデス」と地図を見せる。
 「あっ、それなら私が行くところの先だからご一緒しましょう」と案内してあげたという。この奥さんは「外人」としてではなく、日本人並みに扱われたことを喜んだであろう。

 国際化時代だから日本国内でも英語を、などと言っている人は、その態度がかえって外国人を「外人」扱いして、日本社会に溶け込むのを阻んでいることを知る必要がある。

 ドイツ在住の外国人はドイツ語を学び、日本在住の外国人は日本語を学ぶべきだ。それができない旅行者などは「申し訳ないがイングリックで」、というのが国際化時代にも変わらぬ原則である。(以下省略)
                                          (文責:伊勢雅臣)

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以下は、上記主張に対して海外の読者が著者に宛てた手紙の中から一部抜粋したものです。
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中根(オーストラリア在住)さんより

 とにかく日本人の語学力は低い。英語が下手糞過ぎる。あれだけ英会話学校が氾濫し、あれだけ若者の音楽にアルファベットが浸透し、あれだけアメリカ文化にあこがれるヤングが多いのに、どうしてこんなに英会話が下手糞なの? と首をひねってしまう。

 観光客が英語が話せないのはどうでもいいんですが、問題はワーキングホリデイ等の制度を使って日本から勇躍海外に出て来るヤングの語学力の無さです。

 日本から豪州にワーホリで来るヤングは年間1万人くらいだとか聞いてますが、この大半が英語殆どダメ人間です。せっかく人生の大事な時を使ってはるばる来てるのに、結局英語がダメで、ここで日本人同士で付き合って、何の収穫も無い。
    
 彼らの貴重な一年は日本に居ても出来るような事の為に浪費され、ロクに何も学べず、バイトでこき使われて、劣悪な生活条件の中で浪費されているのです。(以下省略)

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知世子さん(モスクワ在住)より

 ロシア語は、サンスクリットと同型の文法など、便宜性はないものの、非常に思考の根底が深い言語なのです。そのために、同じ分野のことをロシア語で学び直すと、いろいろ気付かされることがあります。

 そして、ドストエフスキーなどに代表される、その人類的な運命論まで含めて語るような文学が、なぜロシアで生まれたのか、理解できます。

 おそらく、他の言語でもいろいろな特性があるのでしょう。とにかく、その言葉を理解するようになると、そういう違う視点から世の中を見られるということこそ、重要なことかもしれません。

 それが、もし日本では外国語というと英語。そのように、一点張りになった日には、英語的な思考の形態まで、国民に押し付けることとなり、精神的な文化においても、その影響は免れないでしょう。

 たまに英語が話せるだけで、なにかまるで日本人ではないような勘違いした無神経な行動をしてしまう、厚かましい同世代を見ると、なにかとても悲しくなります。それは本当の意味での国際化ではないと思うのです。(以下省略)

(参考)
この記事の引用先

-----Japan On the Globe(175)  国際派日本人養成講座----------
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          _/     Common Sense: なんで英語やるの?
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_/ _/_/_/         英語を第2公用語とし、30%もの日本人を
_/ _/_/          バイリンガルにする必要はどこにあるのか?

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          さて、あなたのご意見は?