中国人の本質③
(注)これまでのブログ記事
中国人の本質②
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さて、本文より
◎本文の一部31『誇張されすぎる日本脅威論』
「日本人は戦う覚悟はいつでもできてはいるが、挑発されるのでなければ戦わない」ということが、日本人と長く付き合ってみればよくわかる。
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(日本の)この三十年の外交は世界に類を見ないほど言行一致している。
◎本文の一部32『アジアの問題児は中国』
結論を述べよう。
アジア問題の本質はなにか。
それは、時代の流れに逆らう中国人の頑迷さである。
問題の本質はここにあるのであるが、「それとてたいした問題ではない」と、中国に居を構えるアメリカ人は言っている。
期待しすぎてはいけない。
現在の権益を保持できればそれで十分である。
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誰もが異口同音に『中国人の裁判にかかったら最後、まともな裁きを絶対期待できない』と話していた。そして、でたらめ裁判の例を山ほど聞かされた。
[このあたりの記述では、南京事件などで中国人がアメリカ人にいかに酷い仕打ちをして生首を並べても、アメリカ宣教師が中国人を弁護すると、宣教師を批判しています。
◎本文の一部33『パール・バックの偽善』
ところが去年・・・・・殺人・略奪の収まった南京に戻ったときのことを、「驚いたことにみだらな落書きが一つもないではありませんか」と書いて中国人を持ち上げている。
[略奪に励んでいるときに落書きなどしてはいられない――と、パール・バックを批判する文章]
◎本文の一部34『事実を見て対中国政策の誤りを認めよ』
つまり、今までの対中国政策は失敗だったと素直に認める以外ないのである。
金を貸せば、返してもらえないばかりか悪用される。
学校や病院を建てたら、火をつけられる。
宣教師は宣教師で、いくら中国人の中に飛び込んで命がけで働いても、教え子に拷問され虐殺されている。
私の過去のブログ記事 『和夫一家殺人事件』
ただ外交援助するばかりで、何の罰則もなく甘い顔ばかりしてきたから、かえって暴虐の限りを尽くしてきたのである。
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以上が、1930年代前半の中国です。
(私見)
例えば戦国時代の中国って三国志にも述べられていますね。
日本との大きな違いは、日本のような同じ民族からではなく、異民族からいかに命と土地を守るかということでしょうか。
周辺には異民族や盗賊がうろうろしていますから、街には城壁を築き、その中で寝起きをし、昼はこの城壁の外に出て農耕をします。
右の画像は、フランスのスペインの近くの城塞都市カルカッソンヌですが、かっての中国もこのような城塞都市でした。
三国志でも書かれているように、何万、何十万という兵が戦いますから、今の舗装道路の車社会と違って、土砂道を牛車で食料を運ぶことは大変困難なことでした。
戦いで、城壁を打ち破り、街を制覇したとしても、食料不足。
リーダーが一番恐れるのは、食料不足による兵士の反乱でした。
そこで、破れた街の民を閉じ込め、順番に殺し、兵士の食料としたのです。
ですから、中国人は、何万、何十万、何百万人を殺しても平気なのです。
何しろ、重要な食料なのですから。
その伝統が、凌遅刑(りょうちけい)で、清の時代まで中国で行われた処刑の方法のひとつですね。
なお、この刑罰は中国の影響を色濃く受けた李氏朝鮮(朝鮮王朝)でも実施されていました。また、これに酷似したものとして隗肉刑があります。
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(参考)私のかってのブログ記事
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この敵に負けたら、人間は兵士の食料となり、或いは生きたままの人間を切り刻む凌遅刑となるということが中国人のDNAに刻まれ、今の思考の基となっていると言っても過言ではないでしょう。
つまり、現世でも同族以外は基本的に他人であり敵でもある。
他人を殺しても、それは悪ではない。
他人に嘘八百つこうが、他人を騙そうが、それは悪ではない。
強盗してもそれは悪ではない。
他人に農薬入り餃子を売っても、それは悪ではない。
生き延びるための正当な行為でなのです。
信用出来るものは、金(かね)しかないのです。
こう考えたら、かっての、そして今の中国という国、並びに中国人とはいかなるものかの理解に少しは役立つでしょう。
おしまい
(「暗黒大陸中国の真実」引用先)