秋田の象潟・西目は地震で隆起するかも


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秋田の象潟・西目は地震で隆起するかも
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毎日、相変わらず三陸・宮城・福島沖では地震が多発していますね。注)今日12月29日も午後4時19分福島・花通りで震度4。
 
東日本大震災の被災地では広範な地域で地盤沈下が起きましたね。
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石巻気仙沼・南三陸 止まらない地盤沈下!「海水が溢れる街」

その結果、平均海面以下の「ゼロメートル地帯」が宮城県沿岸部では震災前の3.4倍の56平方キロメートルに拡大。岩手県でも1.8倍の0.6平方キロメートルである。

国土地理院が4月に全地球測位システム(GPS)で測定したところ、石巻市牡鹿半島で120cm、女川(おながわ)町で89cm、気仙沼市で74cm、岩手県陸前高田市で84cm、大船渡市で73cmなど、各地で沈下を確認したという。

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関東では、同じ太平洋側にも拘らず隆起や陥没をしていましたね。

関東大地震の前兆現象
大正12年9月1日11時58分相模湾海底で地震発生。
地震の規模が大きいのに比例し、異常も数ヶ月前から各方面で発生。

相模灘海底で数10~300mもの隆起および陥没が発見されたが、これは地震時に生じたのではなく、地震前に生じていたらしい。三浦半島、房総半島では住民が「年々浜が減少していく」と述べていた。

注)関東大震災の予兆現象は、↑上記URLをクリック。
尚、3.11以降、関東のあちこちで隆起現象が起きているようですね。

(予兆の一例)鎌倉、藤沢あたりで毎夜大砲を撃つような音が聞こえ、ガラス戸が破れんばかりの振動を受けた。大島の噴煙は火柱となり、夜間は殊に美しかった。

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下記の図は、この一週間の地震発生箇所と地震規模。
象潟(きさかた)は、地震発生の場所の反対側にありますね。

イメージ 1

さて、この太平洋側とは反対側の日本海側では、逆に隆起していたのです。
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象潟(きさかた)地震:その昔、マグニチュード7を超える象潟地震が発生した。1804年7月10日のことである.

このような大地震はこのあたりでは700年以上起こらなかったらしい。震央は象潟沖数kmまたは鳥海山の南東麓に推定されている.
 
(参考)他方、日本被害地震総覧では、震央は羽前(庄内)と羽後(由利)の国境(北緯39°03′東経139°57′)で、日本海に面した内陸。5月下旬より付近に鳴動。
 
最大震度は7であった.死者は約400人,全壊家屋約8000戸と記録されている。庄内平野北端の吹浦付近から本荘平野の南の仁賀保付近まで,鳥海山の西麓が最大2m隆起した.

仁賀保町金浦付近では海が最大300mも後退したらしい.著しい噴砂現象が起こったことも記録されている.この地震により古象潟湖が陸化した.

このゆーチューブは、今の隆起した象潟。注)私の生まれた地は、ここから鳥海山へ数キロ向かった象潟町長岡。
 


下記の図は地震以前の象潟の古絵図の一部分。江戸時代でしょうか。このように江戸時代、象潟では今の松島のように小島が点在していたのです

イメージ 2

絹本着色象潟図屏風(六曲一双) 象潟郷土資料館
イメージ 3

同じく文化元年(1804)の大地震で隆起する以前の象潟の様子が描かれた屏風。作者は牧野永昌(えいしょう)で、本荘藩の六郷侯の命を受けて描いたとされる。

にかほ市象潟概要: 
にかほ市象潟は「九十九島」や「蚶満寺」、「奈曽の白滝」などが有名です。

特に象潟は当時松島(宮城県松島町)と並び賞された景勝地で「象潟八十八潟・九十九島」と呼ばれ、鳥海山を借景に大小多くの島が入江に浮かんでいました。

象潟の地形が生まれたのは鳥海山の火山活動によるものが大きく、2600年前に起こった火山によって地表が崩落し海水が流れ込んだ事が原因とされ、長い年月により島のような形状となりました。

象潟の景勝を求めて多くの文人、墨客など著名人も訪れ、主な人物は、 



久安3年-西行法師 : 「象潟の桜は波に埋れて花の上漕ぐ海士の釣り舟」

慶長17年-沢庵禅師 : 「きさかたのいはさの波は早けれどこころの月の
          かげもすみつつ」

元禄2年-松尾芭蕉 : 「象潟や雨に西施がねぶの花」

天明4年-菅江真澄 : 「うつしえにうつしとめしは象潟のむかしをいかで
          みづくきのあと」

寛政元年-小林一茶 : 「象潟や波の上ゆく虫の声」



にかほ市象潟の北、同じく日本海側沿いの由利本荘市西目でも、その昔は海でしたが、海底が隆起し潟となり、今は田んぼになっていましたね。

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(私のブログ)私のルーツ探索

(2)全校生徒で演じる淵名孫三郎とは? 

(3)西目潟 淵名孫三郎の碑

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この西目潟も、今から六、七千年前、いわゆる縄文海進という現象があって、海面が現在よリ五~七メートル高くなった時期がありました。その時は現在の水田地帯の大半は海面下に。

その後の海退によって漸次水没地帯も陸地と化したが、そうなるにはかなりの年月を要したことであろう。

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結論としては、東北では太平洋側が沈下したから、何れ日本海側が地震で隆起するということですね。

それも地震空白地帯の象潟沖や本荘沖で発生するということですね。