日本の「魂」を伝えた小泉八雲

 
小泉八雲が絶賛する日本という国、そして世界で最も愛すべき素朴で純粋な日本民族とその心、その底に流れる『民族の魂』。
 
日本弱体化・壊滅を図る輩は、この日本民族の魂を破壊しようとしています。
その顕著な現象が、靖国神社参拝の批判です。
 
事ある都度、批判の声を上げるのが中国、韓国、シンガポールですね。
注)この三国とは、ウイキペディア『靖国問題』より。
 
尚、これらの国から工作員を送り込まれ、姿・形を変えた資金援助を受けている代表例が大手マスメディアや一部の政治家ですね。
 
以下、前回に引き続き細川一彦氏の随筆です。
 
               ☆
 
日本の心  世界の声 その2
■日本の「魂」を伝えた小泉八雲   
2004.9.16
 
ラフカディオ・ハーンは、日本名・小泉八雲。『怪談』等の名作で有名です。
彼は日本文化を世界に知らしめた外国人として、しばしば第一に挙げられます。
 
彼が世界に伝えようとしたもの、それは日本の「魂」でした。
 
ハーンは、アメリカで新聞記者をしていた時、日本に魅力を感じるようになりました。運よく明治23年(1890)、日本に派遣されて、憧れの国にやって来ました。
そして、通信員の仕事をやめ、英語教師をすることにしました。
場所は、島根県の松江中学校です。
 
ハーンは英訳の『古事記』などを読んでいたので、神々の国・出雲へ行けることを非常に喜んだのです。8月末に松江に着き、翌月から学校に勤務し始めました。
 
当時、彼はアメリカの友人に宛てた手紙に、こう書いています。
「私は強く日本にひかれています。(略)この国で最も好きなのは、その国民、その素朴な人々です。天国みたいです。世界中を見ても、これ以上に魅力的で、素朴で、純粋な民族を見つけることはできないでしょう。
 
日本について書かれた本の中に、こういう魅力を描いたものは1冊もありません。私は、日本人の神々、習慣、着物、鳥が鳴くような歌い方、彼らの住まい、迷信、弱さのすべてを愛しています。(略)
 
私は自分の利益を考えず、できるなら、世界で最も愛すべきこの国民のためにここにいたい。ここに根を降ろしたいと思っています」
 
ハーンは1850年6月27日、ギリシャのレフカス島で生まれました。父はアイルランド人、母はギリシャ人でした。2歳から17歳まで、ハーンはアイルランドで育ちます。そこはヨーロッパの辺境にある島であり、キリスト教浸透以前のケルトの文化が残存していました。
 
こういう土地の影響でしょうか。幼い時から妖精や精霊の存在を感じていたハーンは、一神教にはなじめませんでした。自然の中の神秘を排除していく西洋近代文明にも違和感を覚えていました。そんなハーンが日本に魅力を感じるようになったのは、ゆえあることだったのです。
 
ハーンは、古い伝統と文化を守る城下町・松江が、この上なく気に入りました。そしてこの地で約1年半を過ごします。その間、松江で見た光景を、ハーンは次のように書き留めています。
 
「彼等は手と顔を洗い、口をすすぐ。これは神式のお祈りをする前に人々が決まってする清めの手続きである。それから彼等は日の昇る方向に顔をむけて柏手を四たび打ち、続いて祈る。……人々はみな、お日様、光の女君であられる天照大神にご挨拶申し上げているのである。
 
『こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌麗しくあられませ。世の中を美しくなさいますお光り千万有難う存じまする』。
 
たとえ口には出さずとも数えきれない人々の心がそんな祈りの言葉をささげているのを私は疑わない」
 
 
ハーンは、西洋では失われた自然への畏敬、八百万(やおよろず)の神々への信仰が、日本では生きていることに驚き、心から共感します。そして、日本の民話や伝説、怪談などを聞き集め、それを作品にまとめて、海外に紹介していきました。
 
ハーン自身、昔ながらの日本の家に住み、着物を着て、日本食を食べ、日本の習慣に親しみました。
 
日本女性と結婚するように勧められると、拒むことなく、明治24年(1891)、士族の娘・小泉節子と結婚しました。結婚式も和風で行いました。
明治29年、45歳の時には日本へ帰化し、小泉八雲と名のります。小泉は夫人の姓、八雲は出雲の枕詞「八雲立つ」に因んだものでした。
 
日本人として生活するなかで、ハーンは、西洋が失ってしまった古きよきものを見出しました。ハーンは言います。
 
「西洋文明から日本の自然な、完全にノーマルな生活環境にとけ込むと、プレッシャーがだいぶん減ります。西洋文明の根本的特徴である個人主義が、ここにはないのです。それは私にとって日本社会の魅力の一つです。
 
ここでは、個人は他人を犠牲にするところまで、その範囲を広げようとはしないのです」
 
「私の考えでは、日本人の生活を一層客観的に見ているその他の多くのオブザーバーもそうであろうが、日本はキリスト教に改宗しても、道徳やその他の面に関して何の得もない。むしろ損をするところが多い」
 
 
ハーンが亡くなったのは、日露戦争の最中、明治37年(1904)の9月でした。当時、日本は大国ロシアを相手に驚くべき善戦をしていました。ハーンは、絶筆となった『神国日本』の最終章にて、次のように書いています。 

 「日本のこの度の全く予期しなかった攻撃力発揮の背後に控えている精神力というものは、もちろん、過去のながい間の訓練のおかげであることは全く確かである。
 
……そしてすべてのあの天晴(あっぱ)れな勇気 ―― 生命を何とも思わないという意味ではなく、死者の位を上げてくれる天皇のご命令には一命を捧げようという念願を表わす勇気なのである。
 
現在戦争に召集されている何千何万という若者の口から、名誉を荷ないながら故国に帰りたいなどという表現を一言も聞くことはできない。 
 
―― 異口同音にいっている希望は『招魂社』(註 靖国神社)に長く名をとどめたいということだけである。 
 
―― この『社』は『あの死者の霊を迎える社』で、そこには天皇と祖国のために死んだ人すべての魂が集まるものと信じられているところなのである。この古来の信仰が、この戦時におけるほどに強烈に燃え上がった時はない。
 
……日本人を論じて彼らは宗教には無関心だと説くほど、馬鹿げた愚論はまずあるまい。宗教は、昔そうであったように、今なお相も変わらず、この国民の生命そのものなのである。
 
―― 国民のあらゆる行動の動機であり、指導力なのである」(1)

 ハーンは、「死者の位を上げてくれる天皇のご命令には一命を捧げようという念願を表わす勇気」と書いています。
 
彼が感じた日露戦争における日本人の精神力、勇気の源泉は、天皇を中心とする忠誠心・団結心であり、それと結びついた日本人の宗教的伝統だというのです。
 
そして、ハーンはこの宗教的伝統の核心は、祖先祭祀であり、神道であるとします。
 
わが国では、死者の魂を神として祭り、家の先祖を祀る家族的祭祀、氏神を祀る社会的祭祀、国の祖先を祀る国家的祭祀が、古代からハーンの見た近代まで貫く宗教的伝統となっています。
 
この祖先祭祀は、天皇を中心とする忠誠心・団結心と結びついています。そこに、ハーンは、日露戦争において発揮された日本人の強さ、優秀さの根源を見出していたのです。
 
ハーンは、次のようにも述べています。「日本の強さは、伝統的宗教の強さと同様に、物には現れていなくて、その民族の底に潜んでいる『民族の魂』にある」と。
 
ハーンは、日本人の「民族の底に潜んでいる『民族の魂』」を深く感じ取っていました。それは古代から近代まで日本人の心底に保たれているものであり、明治日本の活力の源となっているものでもありました。
 
ハーンが追求し、作品の中に描こうとしたもの、それは日本の「魂」だったのです。日本の「魂」を伝えるものであるからこそ、彼の作品は、海外でも多くの人々を引き付けてやまないのです。
 
 
(1)日露戦争については、次の拙稿をご参照ください。
参考資料
小泉八雲著『神々の国の首都』(講談社学術文庫
・ 同上『明治日本の面影』(同上) 
・ 同上『神国日本』(第一書房平凡社東洋文庫
・ 小泉節子+小泉一雄著『小泉八雲』(恒文社)
 
 
(前回記事)
日本の心  世界の声 その1
 『宣教師たちが称えた日本人の美徳