知らない歴史・消せない歴史

 
日韓併合後の朝鮮半島は、劇的に変化するのですが、それ以前の李氏朝鮮時代の政治と風習を海外に残る文献から抜粋しました。
 
恐らく彼等の国の教科書に載らない歴史ですね。
 
(参考)日清戦争1894年(明治27年日露戦争1904年(明治37年日韓併合1910年(明治43年
 
                 ◆

日本に送られてくる通信使は、日本向けには将軍の襲位祝賀をうたいながら、朝鮮の文献を読んでみると、敵情探索を目的としている。これは恩義を忘れたものである。
 
大体、朝鮮は信義のない国であって、明が清に攻められた時も一人の援兵も送ろうとしなかったではないか。

「夫朝鮮狡黠多詐、利之所在、不顧信義、蓋○狢之俗、天性固然」(朝鮮人は狡猾でいつわりが多く、利のあるときには信義をかえりみない。狢(むじな=タヌキの異称)の類の風俗は、天性からしてそうなのである 「国書復号経事」)。
 
     新井白石(江戸中期の儒学者・政治家 1657~1725)


                 ◆
 
そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、下国のなかの下国であった

天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。

また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたこと、「渓陰漫筆」に書かれている。
 
そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている

        「韓国は日本人が作った」 黄文雄 徳間書店
 
                  ◆
 
読者は朝鮮人の無気力、怠惰、居候根性、貧しさをつぶさに観察されたことになるがこのために朝鮮の独立は極めて困難で、将来を望むことが難しい。(中略)
 
朝鮮を亡ぼすもっとも大きな、普遍的な原因は国民挙げて「独立独行の精神」に欠けていることである。
 
健康な体格を持ちながら親族知己に少し富裕な人かあればその家に居候して、終日何一つの仕事もせず、暮らしている。居候も朝鮮人の居候根性は徹底している。
 
京城(現在のソウル)の高官、裕福な人の家には大の男が数十人となく寄食している。二度三度の飯を食わしてもらえば、煙草一服も人のものを吹かしている。見苦しい話である。
 
彼らはいつも借金で首が回らず、何かちょっとした官職の一つでも回ってこないかと首を長くしており、それを得るためにあらゆる卑劣な行為をつくし、それでもなお望みがかなえられない場合には飢えて死んでしまう

         「三十年前の朝鮮」イギリスの女性旅行家 
          イザベラ・ルーシー・ビショップ
 
                  ◆
 
人の目に労働と映るなら、出来る限りそれから遠ざかろうとする。自分の手で衣服を着てはいけないし、煙草の火も自分で点けてはならない。そばに手伝ってくれる場合は別として、馬の鞍に自分でのぼるべきでない
    
            アーソン・グレブスト「悲劇の朝鮮」

                  ◆
 
将来性がなく、中国人以上に散々な民族である
一千年前に眠ったその場所に留まり続けている。
いっそう良くないのは、その眠りから覚めようとしない事だ。

朝鮮人(韓国人)は独立が嫌なのだ。
できれば色んな人に依存して責任回避をしたいのだ
 
彼らの望むことは、何の心配もなく平和に暮らす事だけであり、「独立」と言う言葉は、彼らに取っては恐怖を意味し、不信や無法と同じである。
 
仕事、悲しみ、喜びは分け合うが、収入は独り占めにし様とする
自分の判断で動かざる得なくなると、慌てふためき、結局、一番愚かな行動を取ってしまう。
 
 日本人は楽しく働いて、その結果について自負心を持つ。
所が朝鮮人は、生存の余地がなくなると言う状態に陥らない限り働かない。

   「悲劇の朝鮮」 スウェーデンの記者・アーソン・グレブスト
 
                  ◆
 
朝鮮人は、自分の知的水準を引き上げ、精神世界を拡大しようとするいう努力があわれにもないのに、社会的地位を高めようという激しい欲望だけはある
 
自分のものでなくとも少しばかりの金を自由に動かすことができるとか、何人か働くのを監督するとか、ともかく物の面、金の面で人間を支配できるようになると、おしなべて有頂天になる。
               ハルバート牧師

                  ◆

韓国人は怯えながら生きてるうちに、感情が安定を失うようになった
おそらく韓国人ほど、怒ることを好む民族はいまい
 
怒ることが不安や焦燥感を解決する代償行為となるとともに、自尊心を守る手段にもなる
 
その自尊心も、外観にこだわるために、薄い表皮のようなものでしかないので、ちょっとでも引っかかることがあれば、怒りの引き金がひかれることになる。

        ダブリュイ主教 「朝鮮教会史序論」

                  ◆

朝鮮人は本当に怒ると、正気を失うといえるかもしれない。
 
自分の生命がどうなってもいいといった状態になり、牙のある動物になってしまう。
口のまわりにあぶくがたまり、いよいよ獣めいた顔つきになる。
 
遺憾なことだが、この怒りの衝動に我を忘れるといった悪癖は男だけの独占ではない。
 
朝鮮の女はすさまじい凶暴さを発揮する
女は立ち上がってひどい大声でわめくので、しまいには喉から声が出なくなり、つぎには猛烈に嘔吐する。
 
精神錯乱に陥るこうした朝鮮の女たちを見るたびに、私はどうして脳卒中で倒れずにすんだのかと不思議に思う
 
どうも朝鮮人は、幼少のころから自分の気分を制御する術を学ぶことがないらしい。
 
子どもは親を見習って、自分の気に入らないことがあると、まるで気が狂ったように暴れだし、結局、我意を通すか、それとも長くかかって鎮静にもどるかそのいずれにか落ち着く。

          「朝鮮亡滅亡」  ホーマー・アルバート

 
                  ◆
 
侵略者をすべて撃退したという自画自賛史観が史実に反するというのは、「壬申倭乱」「丙子胡乱」「モンゴル軍の侵入」などを見れば明らかだ
 
モンゴル軍が侵入してくると、西北や東北地方の官吏は競って土地を献上して順民を誓う。

韓人は逆に、侵入軍の先頭にたって自国の軍隊を叩くもしくは城を明渡して逃げ惑う。ときには抵抗する儒者や僧侶も出てくるがその頻度は極めて低く、秀吉軍の京城(現在のソウル)入城のように奴婢はむしろ侵入者を解放軍として敵を迎えた。

それだけではなく、多くの「韓奸」や「売国奴」といわれる人々が必ず現れて敵についていく民衆は敵軍に従軍する
 
朝鮮征伐のときに、さっきまで自分の国王(仁祖)だった人へ、都落ちの国王として石を投げたり、王子を捕らえてまで敵軍に献上することもある。
あるいは、宮城攻めに民衆が協力して城攻めや攻囲をする場合もある。

景福宮などの焼失は大部分の韓国の観光案内によれば「日本軍の兵によるもの」と書かれているが、それは嘘だ
 
李恒福の「白沙集」によれば、秀吉軍の入城前にはすでに灰燼となっていたそれは、民衆が兵乱と聞けばすぐに蜂起して、宮廷を襲い略奪したからだ
 
ことに奴婢は秀吉軍を解放軍として迎え、奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院に火を放った。これが歴史の史実だ。
                           
              台湾国の評論家 黄文雄
 
                  ◆
 
女は子を産む道具でしかない」朝鮮では、「道具(女)が不良品(不妊症等)であってはならない。

故に、『これこの通り、妊娠できる体でございます』ということを証明するために、「種男」という男に娘を犯させ、妊娠した状態で輿入れさせる」。
これを「試し腹」と言います

産まれてくる子供は、当然夫の血を引いていないため、妻と同じ奴隷的な身分しかなく、結婚はおろか大人になるまで成長する者も稀だったと言われています。

自分の娘を血縁の近い男(兄や叔父)に妊娠させて、妊娠できる女と証明させて嫁がせる儒教思想が暴走した悪しき習慣だそうです。

日帝が禁止した朝鮮時代の悪しき風習だそうです。 
 
             韓国発行 「邦字新聞」より
 
                ◆

奴婢は品物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象になった

かれらはただ主人のために存在する主人の財産であるため、主人が殴っても犯しても売り飛ばしても、果ては首を打ち落としても何ら問題はなかった。

それこそ赤子の手を捻るように、いとも簡単に主人は碑女たちを性の道具にしたものであった。奥方たちの嫉妬を買った碑女は打ち据えられたり、ひどい場合は打ち殺されることもあった

外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった碑女たちは、売却・私刑はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかったといい、韓末、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、ものに引っかかっている年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる
 
局部に石や棒切れをさしこまれているのは、いうまでもなく主人の玩具になった末に奥方に殺された不幸な運命の主人公であった。

     奴婢『ソウル城下に漢江は流れる―朝鮮風俗史夜話』
           (林鍾国、平凡社1987) 
 
                ◆
 
「又個人的随意契約により若しくは父母に売られて奴隷となるもありて、世襲奴隷と一時的奴隷とはその間厳重なる差違を存し、世襲奴隷の子女は常に奴隷となり、主人の承諾を得るにあらざれば絶対的にその自由を回贖するを得ざるも、一時的奴隷の子女は多くの場合において解放せられ、その奴隷自身も犯罪により奴隷と為りたるものを除くの外は、主人の意に反すとも一定の金額を納めて自由の身となることを得るなり。

世襲奴隷は常に全く主人の専有物と見なされ、主人は之を売買し、貸与し、贈与しその他すべて随意に之を処分することを得。」

                 シャルル・ダレ
 
                ◆ 
 
     
               以上、事実は事実として!
 
               注)引用先は、後日添付します。