テレビはやがては来る首都大地震の報道

 
 ここ数日、首都直下大地震は確実に来るとの報道がなされていますね。
文科省も「いつ来てもおかしくない」と。
 
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先日の1月22日(日曜日)午後3時にちょいとチャネルをひねったら、読売テレビでは関東大震災のドキュメンタリードラマを放映していました。
 
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関東大震災の時の後藤新平に比較して、北日本大震災に対しての政府は何と無為無策であることかを啓蒙する意図かな?と思うも、そうでもない。
 
この番組は、関東に地震が来るぞ!という啓蒙の一つのようです。
 
(番組案内)読売テレビ 「復興せよ!~後藤新平と大震災2400日の戦い~」
 
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関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒(以下日本時間)、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生したマグニチュード7.9の大正関東地震による地震災害。
 
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改めて関東大震災の記録を見ると、震源地は東京ではなく、相模湾なのですね。
そして、地震での建物の倒壊や液状化による地盤沈下、崖崩れなどの直接被害は、神奈川県の方が遙かに大きいですね。東京の災害の大半は、火災です。
 
 
その横浜で思い出すのが凡そ30年前ですね。
あの頃の新しい宅地は地震で大丈夫なのかな?
 
私の当時の印象では小山が多いのが横浜。
そこかしこにあるため池を建築残土で埋めて宅地にしていましたね。
或いは、小山を削って更地にし、その土を畑の盛り土として宅地にしていました。
 
その当時の事を書いたのが、下記の私の履歴書・128《超やり手から学ぶ》
 
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横浜は、中心部を離れますと住宅地は丘の連続。
当時、その丘の斜面の段々畑が次から次へと宅地に。
 
この斜面に残され、無用になったため池を超破格値で買い取るのです。
一つのため池は五百坪から数千坪。水利権者達をいかにまとめるかが勝負。
 
買い取ったため池の水を抜いて、その跡に建築残土を有料で受け容れます。
これだけでも、充分な利益を出せます。
 
残土で一杯になったら最後に山の土をかぶせて、1年間寝かします。
際立った沈下が収まりましたら、不動産屋と組んで宅地として売るのです。
 
購入者は都内在住者ですから、ここは池の跡地など知る由もありません。
せいぜい元畑と思うのが関の山。
 
 
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どこの大震災の記録を見ても、地震が起きてからでは脱出は出来ないですね。
特に関東圏でしたら道路・電車・飛行機、まともに動けるはずはない。
 
とすると、自宅が無事なら篭城覚悟の対策が必要ですね。
無論、ご家族との連絡をどうするかも決めておかなきゃ。
 
 
万が一、大地震の兆候をキャッチできたら、早めに関東から逃げることですね。
さて、大地震直前に分かる兆候とは!
 
「大して天気が悪くも無いのに、空から太鼓を打ち鳴らすようなドーン、ドーンと言う音がやはり毎日聞こえた」
 
何回かの大地震の直前兆候として、この音がし始めてから一週間から二週間以内に大地震が来ていますから、雷のような変な音が遠くに聞こえたら、数日以内にせめてお子さんだけでも北海道か関西以西に逃がすことですね。
 
大正関東大地震との違いは、次に天から降ってくるものがありますからね。