53年前小学校で習ったのは太平洋の大津波

 
私の履歴書・番外編
 
先日3月11日の地震で思い出した事があります。
 
私が小学校4年~6年(1955年(s30)~1958年(s33))の三年間、秋田県由利郡大内村立下川大内小学校に在席。
 
この時の確か5年生?の社会の教科書?それとも国語の教科書?にそれがある。
注)当時の教科書の内容の一部は、全国の著名な温泉、秋田県には古墳が無いとか。
 
教科書に掲載されていた実話は、確か江戸時代の話でしたね。
 
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三陸の漁村で怠け者のゴン太(仮称)は、海と村を見下ろせる小高い丘の斜面で昼寝をするのが日課でした。挿絵もこの様子でした。
 
地震が起きたら「津波が来た!みんな丘に逃げろ!」と村中を叫び回りました。
当初は、全員、即座に丘に駆け上がりました。
 
処が、地震が起きる度に、毎回叫び回るものですから、誰も信用しなくなりました。
「怠け者で嘘つきゴン太」と言われるようになったのです。
 
或る日のこと、丘の草原で寝ていたゴン太は地震で起きました。
見ると、遙か水平線彼方に一直線になった白い大波がこちらに向かって来ます。
 
 イメージ 1
 
「大津波だ!」
彼は、叫びました。
でも、誰も相手にしてくれません。
 
彼は火打石を取り出し、その丘にある稲架(稲穂)に次々と火を点けたのです。
 
「ゴン太は狂った!早く火を消さなければ!」 と村人全員が丘を目指して駆け上がってきたのです。
 
皆が丘に上った時、大津波は集落を襲い、集落全部の家屋をさらっていきました。
こうした咄嗟の機転で、ゴン太は村人全員を救ったのでした。
 
注1)稲刈りは一般的には10月。一昔前まではそれから稲穂の天日乾燥。
晩秋の空っ風は稲穂を乾かすから、時には稲架の上に雪が降り積む。
雪を見ながら稲こきをしていたそうです。
 
注2)江戸時代の集落では火事の場合、老いも若きも全集落民が火事現場に集まるのが慣習との事。
 
 
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私の記憶にある教科書の内容は以上です。
今気付いたことは、ゴン太は祖先から大津波が来ることを知らされていたのですね。
村民の命を救うという使命感が、彼を怠け者で嘘つきにさせたのですね。
 
 
小学生だった私の印象は、太平洋側って大きな津波が来るんだ!
輪をかけて、三陸のリアス海岸ってもの凄く怖いところだ!
 
だから岩手県宮城県福島県の海辺の町では、当然に家ごとさらう大津波に対しての防御体制は採れているものと思っていました。
 
無論、太平洋側に原発を作る時は、当然に大津波を想定し、津波で海水をかぶろうがびくともしない建造物だとも思っていましたね。
 
それが何と「想定外でした」と東電初め、政府、原子力安全委員会原子力安全保安員、大学教授やコメンテーター、マスメデイアまでも言っているではありませんか。
 
私が53~54年前に習ったことは、「村を絶やす程の大津波は『想定内』」
 
変ですね。
 
津波に耐えられない構造物だと知っていながらも原発建設を許可した時の政権とそれを支えた有識者と称する大学教授。知っていながら報道しない大手メディア
 
昨今では、とうに耐用年数を超えていながらも使用延長を許可し続けた時の政府。
それに、それを正当して市民を洗脳し続けてきた大学教授達と大手メディア。
 
これを犯罪としない日本の法律。
東電のばら撒いた裏金で日本は滅びるかも。
 
 
 
注3)三陸津波の紙芝居の記事
 
 
注4)三陸地方を襲った過去の地震
推量すると、教科書に掲載された事実とは、1611年12月の慶長三陸地震でのことのようです。
 
   869年      三陸沿岸(貞観)の地震(M8.3)
1611年12月3日 慶長三陸地震(慶長16年)M8.1  
1677年11月   房総沖地震(延宝5年)M8.0
1703年12月31日 宝歴三陸地震(M7.4)
1793年2月 寛政宮城県沖地震(M8.2)
1856年   安政三陸地震(M7.5)
1861年10月 宮城県沖地震
1896年6月  明治三陸地震(明治29年)M8.5
1933年3月  昭和三陸地震(昭和8年)M8.1
1960年5月  チリ地震(昭和35年)
1978年6月 (昭和53年)M7.4
 
 
追記)2011.04.06pm3:50
私が小学校の時習った上記の物語と、下記の物語はやはり違いましたね。
 
津波の教訓、64年ぶり教科書に 「稲むらの火」が復活(2011.3/31 08:23)

江戸時代に紀州藩広村(現・和歌山県広川町)を襲った大津波から人々を救った実業家浜口梧陵がモデルの物語「稲むらの火」が、浜口の伝記の形で、4月から使われる小学5年の国語教科書に載る。物語は1937年から10年間、国定国語教科書に載っており、64年ぶりの復活だ。津波の教訓を子どもたちに再び伝えることになる。
 
物語は1854年、安政南海地震で広村が大津波に襲われた際、浜口がわらに火を放ち、暗がりで逃げ惑う村人を高台に誘導したという実話に基づく。作家小泉八雲ラフカディオ・ハーン)が明治時代に英語で小説化し、それを基に地元の小学校教員が児童向けに翻訳、再構成した。

 
参考)毎日新聞資料室「稲むらの火