当時、新製品に手を出した悲劇
私の履歴書・262
札幌に着任した1987年1月の下旬
これでは2月5日の手形満期日迄に182万5千円を用意出来ない。
手形の満期日を二ヶ月先の4月5日に伸ばすように依頼。
実は、万が一を思って、満期日の日付だけ鉛筆で記入をしていました。
「消しゴムで消して、書き直してくれ! 2月5日じゃ、確実に不渡りになる。そうなったら欠陥品だから裁判沙汰だよ」
処が、この頃のシャープは、1年や2年でコロコロ会社名が変わりました。
社会の変化に応じての統廃合や組織の分割ですね。
つまり、新会社を創っては従来の会社を消す。
この新会社もたった1年半で消えて、次の新会社を設立。この繰り返し。
今度は3月末日でその会社の部署名が消えると言う。
だからどうしても満期日を3月5日にして欲しいとのこと。
為替手形に捺印をしているので、こちらが弱い。
シャープ側は対策部品の事などは意に介さない。
彼等にとってそれどころではないだろう。
明日の我が身がどうなるのか分からないですからね。
彼等の論調、ごもっとも!
手形は手形。商品は商品。
満期日は3月5日に変更出来たものの、依然とピンチ!
こういう時の一日一日の過ぎるのは何と早いことか。
着任挨拶や道内出張を繰り返していたら、あっと言う間に二月中旬。
ボーナス等で工面出来たお金は合計で120万円。
内、燃料手当ての8万円が入金された時は、小躍りしましたね。
と言っても、不足分62万5千円を更に用意しなければならない。
果たして、サラ金業者は私に62万円も貸してくれるだろうか?
悶々とした夜が続きましたね。
その時ですね。田舎の母から現金書留。
何故か60万円同封。
妻は母にお金の相談をしていないと言う。
では、どうして母は60万円を知ったのか?
妻と母の間での内緒の話ではないと今でも妻は否定する。
ならば、母方血統は、テレパシーの送受信能力が有るから知ったのかも。
母からの送金を合算して180万円。
残るは、2万5千円。
この2万5千円が工面出来ない。何しろ家の財布は空っぽ。
もたもたしているうちに3月。
スケジュール通り、神戸部長と一緒にJRで帯広出張一泊二日。
3日の夕方、先方とアポイトメントをとっているから已む無し。
処が、4日の夕方、帯広からの帰りの特急列車が大雪で走らない。
えらいこっちゃ! 帯広の同じホテルで更に一泊。
遂に満期日の5日の朝は帯広で迎えることに。
こうなったら、会社の小口現金を借りるしかない。
札幌営業所に電話をすれど、呼び鈴は鳴りっぱなし。
札幌も大雪。顧客からのメンテナンス依頼の電話で大変なはず。
ようやく通じたのがお昼の時間。
電話に出たのが瞳さん。由紀さんは昼食で出かけているという。
そこで小口現金から2万5千円を出してもらう。
丁度、山川課長が移動の途中、事務所に寄ったのが幸運。
彼に拓銀から残る25,000円の振込みを頼みました。
これで、不渡りを出さずに済みましたね。
然し、お金の無い時って、何処を引っくり返しても無いものですね。
その後のコピー機の行方と言えば、
広島からコピー機10台とFAX器3台を札幌へ送ってもらいました。
4月以降、シャープの担当者の部署変更。対策部品の件では回答無し。
札幌のシャープ家電に電話を入れるも埒があかず。
中国シャープとは別会社だからと言って愛想も無い。
月日だけが過ぎていきましたね。
あっと言う間に1年経過。
私の田舎と妻の実家に各一台送るも、使い物にならずに廃棄。
2~3枚コピーをとったら静電気で紙詰まりですから。
結局、打つ手無しに残る8台は、自宅の押入れに眠ったままで10年経過。
後、廃棄処分するのに24,000円(@3千円×8台)の料金。当に泣きっ面に蜂。
トホホ!
参考1)由紀ちゃん。
支笏湖レイクサイドホテルの時の写真
参考2)由紀ちゃん。
二年後の温泉ホテルでの写真