約束時間の大切さを如何に教えるか?

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民主党鳩山政権は、マニフェストマニフェスト!と騒いでいますね。
あの考え方は、変ですね。
国民の大多数は、あのマニフェストに書かれてあることの全てに賛成した訳じゃないのですよ。
政治献金欲しさの政治や官僚に牛耳られている麻生政権では光が見えないから、国民は民主党に一票投じたのですよ。
高校の授業無料化などは論外。
茶髪の悪がきにどうして税金を投入しなければならないの?
子供手当て等は、先ずは、保育園・幼稚園の充実が先じゃないの?
現状の施設収容状況では、5人産んで沢山お金を貰ったとしても、子供を預けられないでしょう。

私の履歴書・194

1984年4月 新卒二名が配属されました。

つまり、一年生が二年生になったのです。
この一年生の社員教育を、新二年生に任せたのは以前お話していますね。


社員教育の重要な事項の一つとして、「時間を守る」と言うことがあります。
どうやって、時間の大切さを教えるか考えましたね。

               ☆

① 時間も契約も約束。
契約も約束の一つ。故に、時間を守れないようでは、契約通りに履行出来ないと言う事を意味し、信用を失う。

② 時間はマネー。
例えば、相手が計算し易いように月収40万円とした場合、企業のコストは月収の三倍の月間120万円。
月間労働日20日→1日6万円→1時間当たり7,500円。1分当り125円。

つまり、約束時間に10分遅れた場合、相手は1,250円の損害被ったことになる。
相手が三人の場合、3,750円の損害。

               ☆

毎週、一回、課内のミーティング(打ち合わせ)開催。
これは、部下の一週間の行動内容と結果を報告させ、私がサジェスチョン(示唆)を与えるもの。
ミーティングに一秒でも遅れたら、いかなる事情があろうとも、懲罰すると厳命しました。

案の定、二年生の二人が小会議室でのミーティングに二分遅刻。
これは一年生の見本となるどころではない。

二年生二人を部屋の壁際に20分立たせました。
昔の小学校での水の入ったバケツまでは持たせませんでしたが。

それから暫らくは、時間通りに集合。
処が、笹山君が、15秒遅刻したのです。

お客さんからのクレームの電話で切れなかったそうです。
難しい判断でしたね。

然し、一年生も見ています。これをそのまま赦すと全員が時間通り集まらなくなります。
馬食を切りました。彼を廊下に立たせたのです。

1時間程経過後、傍を通りかかった総務部長が、部屋の扉を開けて言いました。
「笹山も充分反省しているから、赦してやれよ」
以後、一度も、時間に遅れて来る者はいませんでした。

尚、彼も含めて全員には、一旦電話を切って許可をとってからかけなおすように指導しました。


更に、時間の大切さをどのように体験させるか?

アポ(面談予約)をとる時は、ジャスト時間は避けよとの指示をしました。
午前10時なら9時55分、又は10時5分とか半端な時刻のアポをとれと。



実践指導例としては、4月末、部下に同行を依頼された時です。
訪問先は、大阪市内の大手の流通会社本社ビル。

「アポは、5月1日、午前9時15分にとって下さい」
「係長、その日は、メーデーで朝から電車が一斉にストップ。国道は俄か通勤車で身動き取れませんよ」
「だから、その日のその時間なのだよ」


当日、彼も私も午前5時半に各々自宅を車でスタート。
この時間でしたら、国道もガラガラ。あっと言う間に訪問先のビル前に到着。

偶々、朝6時から開いていた喫茶店があり、二人でそこでモーニングコーヒー
約束時間まで三時間弱。朝刊を読んだ後は、お互いに持参した本読みでしたね。



大失敗は、1885年(昭和60年)正月の年始まわりの時ですね。
寺前課長とは、京都駅八条口で午前9時に待ち合わせ。

前日のアフターファイブに二人で居酒屋。しっかりと乾杯。
帰宅してから、妻に翌朝は7時半に起してくれるように頼みました。

翌朝7時半、妻に揺り動かされて覚醒。
二日酔いで、しかも寒い!

雪がチラチラとの事。起きる気には到底なれない。
「もう30分寝かせて! 8時に起きても充分間に合うから」

午前8時、再度揺り動かされる。意識もうろう。何故か7時と勘違い。
「何故早く起すのか? あと1時間眠らせてくれ!」

そして、午前8時50分。「もう直ぐ9時ですよ。起きて下さい!」
「なにィ~~! 9時だと! 何故8時に起してくれないのだ!」

あわてましたね。寺前課長と待ち合わせの時間まで残るは10分。
顔を洗い、自宅発が9時ジャスト。

国道176号線高槻市内を抜けて暫らく。京都府に入ったらチラチラどころではない。
こりゃ、京都市内までまともに走れるか?

京都駅八条口前の信号で停まった時は吹雪。
斜めに降る雪の切れ目から、寺前課長が見える。

八条口の外、オーバーの襟を立てて。時計は、9時40分。
ワァ~! 課長は、吹雪の中、40分は立っていた事になる!

「申し訳ありません。寒かったでしょう!」
「アハハ! 待つ身が辛いのか? 待たせる身が辛いのか? だね、水無瀬君!」

                       失敗!失敗!



参考)1984年とは
グリコ森永事件・ロス疑惑おしんもしかしてPART II/小林幸子・美樹克彦


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