デッキで朝を迎えた別府航路

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何泊であろうが、旅行の計画は結構難しい。
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参加者全員が、いかに楽しく無事に過ごせるかですからね。
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終わってから、また参加したいという気持ちになるかですね。
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仕事が出来る人かどうかは、社員旅行を立案させたらよく分かります。
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たかが一泊! されど一泊! だから難しい。


私の履歴書・180

会社勤めで最も嫌なことの一つは、社員旅行でしたね。
入社当初の本社の社員旅行では、大型貸し切りバスを七台連ねて温泉一泊。

宴会場では社長や役員連中が雛壇。
あれは社員の慰安旅行ではなく、役員連中の自己顕示旅行ですね。

それに準じて、僅か十数人の広島営業所の場合でも所長・課長・役所OBが雛壇。
社員の慰安どころか、社員旅行中、依然と威張るのですからね。


旅行費用は、社員の組織があり、ここでは毎月給料から天引き。
ここからと会社からの補助で社員一人当たり三万円が支給される。

然し、どう考えても、一人当たり三万円はかかっていないケースが大半。
毎年、山陰の温泉一泊で、移動は社有車。

1980年前後の事。どんなに飲み食いしても一人当たり半額は残る。
小橋所長の場合は極端で、日帰りの場合もありましたね。

差額は何処に行ったのか? その話は日を改めて。


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写真は豪華クルーズ客船 『阿蘇』   (広別汽船 呉港⇔宇品港⇔別府観光港) 
全長74.4m、総トン数1,625トン、昭和45年に建造されました。
カパビラさんのブログより←ここをクリック


ひんしゅくをかうおはなし 


広島での社員旅行で一度だけ山陰の温泉でないときがありました。
別府温泉行きです。
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小橋所長の前任の辰巳所長(前所長)の時ですから1979年(昭和54)ですね。
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広島・宇品港から夜の9時頃乗船。大きな船でしたね。(上の写真)
別れの五色テープは、二本ほどたなびいていました。

一旦、全員、船底の畳の部屋に入りました。
でも、我等三十代前半の五人にとっては、寝るには早すぎる。

デッキ(甲板)に上がり、そこで酒盛り。
生暖かい夜風でしたね。デッキにはガス灯のようなものが数個。

隣には、四十代から五十代の小母さん四人に婆さん一人の五人が同じく酒盛り。
当然、合流。薄暗い中、入り乱れての飲めや唄えや。それに島踊り。

皆さん海女。飛白の着物にスッピンの顔と腕は赤銅色。手の平はゴツゴツ。肌は柔らかな白。
愛媛の島言葉。どういう訳か、愛媛の小島の人達。

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午前二時頃、酔い覚ましにデッキのフェンスにもたれました。
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夜の瀬戸内海。月は無い。
遠くに幾つかの船の灯りが揺らめく。
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フェンスを乗り越え、外から両手でフェンスを掴む。
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私は『くの字』に。
船は、私の身体全体で生暖かい風を切って進む。


ボォ~~!
遠く、霧笛を聞きながら。私の身体の遙か真下は海。

フェンスを掴む伸びた右腕と左腕の間からの眼下・喫水線には、かき分ける白波が流れる。
この両手の力を、今抜いたら、私の身体は闇の中に。

ゆっくりと宙に舞い、やがて水面へ。簡単に死ねる。
不思議なものですね。この想いが何度か頭をよぎる。

気付いた同僚の連中は真っ青。
駆け寄ってくる。

酔いが醒めてきたから、ちょっと寒い。
デッキから船室へ。

処が、我等の寝るスペースが無い。超満室。何しろ休日の人気航路。
デッキに戻るしかない。でも、毛布も無い。

再度、デッキに上ると、先ほどの五人の小母さんグループが寝る寸前。
デッキの板の間の上。皆散在。思い思いの場所で毛布をかけて。

船上は視界不良。ガス灯(?)は一個。月明かり程度。
船はゆっくりとゆっくりと進む。風がよぎらず。

蒸すがやはり未明のこと。ちょっと肌寒い。
皆、ばらばらになっている小母さん達の毛布に潜り込む.

「オネエさん! 一緒に寝よう!」 と言いながら。
「あっちへいって!」 と婆さんに断られる声も闇の中から聞こえる。

完全に出遅れた私。
誰かが寝ているところに横になり小母さんを真ん中に川の字。

床板が冷たい。寒い。毛布を引っ張る。
小母さんの向こうに寝ているのは辻川君。引っ張り返される。引っ張る。

これを何度か繰り返した後、小母さんがこちらを向いたまま。
辻川君が自主的に去り、私と小母さんの二人きり。

もう午前三時をとうにまわっている。早く眠らなきゃ!
毛布を二人で頭からかむってさて眠ろう!

眠れるわけはない。毛布で真っ暗な中。
息と息が触れる距離。暗闇の中、挨拶がてら話し始めたら止まらない。

小母さんは海女で人妻。四十歳代後半。
亭主は漁師。子供は二人。二十歳と少々と。

毛布の裾をちょっと持ち上げたら、夜が明けかかっている。
再度、二人で毛布をかむってうとうと。


「起きろ!朝だ!」 と毛布を剥がされる。思いやりの無い者がいたものだ。
どうやらいつの間にか眠ったらしい。

完全に明けている。
抱き合って眠っていた。ひしと。



別府観光港で下船してから夕方の「別府杉の井ホテル」までの記憶はない。
入浴後、浴衣姿でホテルの廊下を歩いていたら、向こうから例の五人連れ。

「やぁ~、やぁ~。またお会いしましたね。今夜の宴会、一緒にやりましょう」 と辻川君が話しかける。

「今夜は眠らせて! 皆、眠たくて、眠たくて」 と島の小母さん達。
全員、大笑い。

私と、デッキで一夜を共にしたかのご婦人は、人影に隠れている。
顔を真っ赤にして。無垢だった。小母さん達の冷やかし言葉で益々赤く。

その後、どうなって、何に乗って別府から広島に帰ってきたのだろうか。
全く記憶に無い。恐らく、半分眠っていたからかも。


そして、そして、その後、何年経っても彼等と一杯飲んだら必ずこの話になる。
飽きもせずに。そして、そして、その都度大笑い。

恐らく、愛媛の島の海女達も、何年経っても一杯飲んだら、この話をしているでしょうね。
75歳~85歳になった昨今でも。

                      おしまい