粗利益額向上策が分からなかった営業所長

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生きている限り、色々な問題が発生しますね。
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仕事をしていますと、問題発生は日常茶飯事。
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頭だけで考えたら、解決の糸口はなかなか見つかりませんね。
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ノイローゼになるのが関の山。
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先ずは問題を紙に書いて、色々な思考を書き加えていったら、案外簡単に解決の糸口は見つかるもの。


その年の秋に、小橋所長は再度、本社BB営業部主催全体会議に出席との事。
その会議での所長の発表テーマは「我が営業所の粗利率向上策」。

それを教えてくれとFF部広島駐在・主任の私に所長が泣きついてくるのです。
「水無瀬君、どう考えても僕には粗利率向上策なんて分からない」

懇願されますと仕方が無いですね。
教えてしまいました。

「所長、粗利率とは何の粗利率ですか?」
「粗利額を売上額で割ったものだよ」

「そうじゃなくて、広島BB課全体の売上の粗利率なのか、それとも新台を販売した時の粗利率なのかですよ」
「それがどちらか分からない!」

「もしも、新台販売の粗利率を問われるのなら、下取り機のある新台販売は出来なくなる。結果、新台販売台数と売上額は極端に下がる」
「それは困る。新台販売台数ノルマもあるから。」

「それなら考え方としては、広島BB課全体としての粗利額向上策は如何に?と考えるべきだろうね」
「 - - - - - - - - - - 」

「紙に書いたらよく分かるよ。頭だけで考えたら永久に回答は出てこないからね」
「 - - - - - - - - - - 」


「BB課の現商品は成熟期。成熟期の特徴としては、販売価格が下がる。
だから従来のパターンでは、下がった額だけ利益額が下がる。

利益額を上げる方法は色々あるが主要なものは六つ。

一つ目は、製造原価(or仕入価格)を大幅に下げる。
二つ目は、販売コストを大幅に削る。
三つ目は、販売台数を大幅に伸ばす。
四つ目は、他の商品との抱き合わせ販売。
五つ目は、新市場開発。
六つ目は、新機能を付加した新製品の市場投入。

然し、どれをとっても、この広島営業所で即対応は出来ない。
とすると、別の方法を考えなければならない。」
「 - - - - - - - - - - 」

「残るは、下取り機で高粗利額を得られるかだ。二十歳台前半の家電屋での経験では、当時、19吋のカラーテレビ新品を12万円で売っても利益は2万円まで」

続けて 「他方、中古のカラーテレビを6万円で売ったら三万円の利益。
利益額確保の源を、下取り機の転売に求めるべきだろうね」
「 - - - - - - - - - - 」

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《図の説明》
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【グラフ1】通常の販売の場合。
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【グラフ2】下取り機が有った場合、下取り機の評価の額だけ販売価格が下がる。このままだと、利益額は新台の10万円のみ。
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【グラフ3】営業マンが下取り機に雑巾がけして販売。利益額は二台で20万円。

「先ずは、現状と言うと、BB課のやっている事は、下取り機を営業マンが自分で外観を磨いて転売。これじゃ、高くは売れない」
「 - - - - - - - - - - 」


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「メンテナンス員にお願いをして、下取り機を一旦解体。
不良箇所・消耗品のチェックとパーツ交換。
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それに、本体の全面塗装。
こうしたなら、価値が倍化し、新品の販売価格の半値以上で売れる」
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《図の説明》
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【グラフ3】これまでの営業マンが下取り機に雑巾がけして販売。利益額は二台で20万円。
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【グラフ4】下取り機をメンテナンス員に任せた場合、再生コストは15万円かかるが、利益額は二台で50万円となる。


「でも、水無瀬君、自社の機械だったら補修部品があるが、他社の下取機販売の場合は、部品が手に入らないからそれは無理だろう」

「それは心配ない。メーカーは、誰が販売しようが、自社の製品には責任がある。
ライバルでも、すんなりと補修部品は売ってくれますよ」

「そうだとしても、向こうから部品が手に入るなら、こちらもライバルに補修部品を売らなければならないのでは不味いね」

「それも心配無用。我社の場合は、販売商品の中で自社製造品の割合は二割。
ライバルの5社は100%自社工場製。

彼等販売部隊は自社工場をいかに動かすかが勝負。
余程の事がない限り、下取りした機械は廃棄処分する」
「 - - - - - - - - - - 」

「小橋所長の今やるべきことは、三つ。
一つ、メンテナンスの責任者と話をつけ、再生作業に着手させること。
一つ、ライバルメーカーと部品の供給で話をつけること。
一つ、BB課全員にこの再生の件を徹底し、従来の自分で磨いての販売は禁止すること」


小橋所長は、私に言われた通りの事を早速実行。
間も無く、下取り機の再生・販売は軌道にのりました。

無論、その秋の本社での会議には喜び勇んで出かけましたね。
そして広島に帰ってきてから、私に自慢話。

尚、この再生事業をBB営業部が新事業としてとりあげ、全国規模で行われたのがそれから三年後。

他方、彼が自己保身の為に私をピンチに陥れるのは、その翌年の春と秋。


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