初秋の大沢の池と名古曽(なこそ)の滝
今回大覚寺大沢池を訪れましたのは、「名古曽(なこそ)の滝跡」(国名勝)を写真に撮るためです。
と言いますのは、今春の桜の時期に来た時に写した写真の内、CDに入れたこの池の北の「名古曽の滝跡」の写真が再生不能となったからです。
(写真の中央左が「心経宝塔(多宝塔)」、右端の奥が「名古曽の滝跡」)
尚、大沢池では『宵弘法(万灯会)』と『観月の夕べ』が今年も催されました。
さて、写真は「名古曽の滝跡」です。ここは、和歌で有名になった滝跡ですね。
その和歌とは
「滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」
解釈)滝の音は途絶えてから長い年月が経つけれども、その名は今に流れ伝わって、なお名声を保っています。私も、のちの世に詠み継がれる歌を創りたいものです。
処が、この歌が有名になったことでこの枯れ滝は「名古曽(なこそ)の滝」と呼ばれるようになり、そしてこの歌と彼の名前は有名になり、今日まで詠み継がれているのです。面白いことですね。
尚、百人一首で「名」を採り上げている歌はこの歌の他に四つあります。
「名にし負(お)はば 逢坂山(あふさかやま)の さねかづら
人に知られで くるよしもがな」
人に知られで くるよしもがな」
三条右大臣(25番) 『後撰集』恋・701
「恋すてふ(ちょう) わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか」
人知れずこそ 思ひそめしか」
「恨みわび ほさぬ袖(そで)だに あるものを
恋(こひ)に朽ちなむ 名こそ惜しけれ」
恋(こひ)に朽ちなむ 名こそ惜しけれ」
相模(65番) 『後拾遺集』恋・815
「春の夜の 夢ばかりなる 手枕(たまくら)に
かひなく立たむ 名こそ惜しけれ」
かひなく立たむ 名こそ惜しけれ」
周防内侍(67番) 『千載集』雑・961
尚、「名」については、万葉の時代には山上憶良が詠っています。
「をのこやも むなしかるべき万世に 語り継ぐべき名は立てずして」(巻第六・雑歌・九七八)
最後に、大沢の池の紀友則の歌
11月中旬は、どんな紅葉風景でしょうか楽しみですね。
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