それは競馬の借金でした


《化け猫屋敷にやって来た知らない人》

かの組織の私を探す事を諦めたのは、三ヵ月後でしたね。
幸な事に、この化け猫屋敷が、絶好の隠れ蓑になったのですからね。

この化け猫屋敷を訪れて来る人と言えば、旅行や帰郷を終えて京都に舞い戻って来た人達でした。
何せこの屋敷は京都駅から徒歩で10分弱ですから。皆、夜行で帰ってきますからいつも早朝起されます。

秋も終わり頃の宵に、真っ暗な階段を上って私の部屋を訪れた人がいました。
全く知らない人でした。でもよくぞ引き返さなかったですね。

彼の開口一番は「先輩!」

聞けば、彼は本荘高校の二年後輩。
彼の父親・小川五郎氏(仮称)は、私の本荘中学時代の体育の教師。

その息子の彼は、私を知っていたそうですが、私には全く記憶に無いのですが。
どうやら、大学で私の住所を聞いてこの化け猫屋敷に来たようです。

何事かと思いました。
何事でした。

「お金を貸してくれ! 34万円」

大金でしたね。当時の大卒初任給の10倍ですからね。
当然持っているはずはありません。

私は「そんなお金は持っていないが、晩飯ならご馳走出来るよ」と言って近くの七条新町の居酒屋横居に彼を連れて行きました。

飲みながら聞いた話では、彼の友人達に借りたお金が34万円。
同志社大学を卒業する前に、返さなきゃならないのだそうです。

その借金の原因とは「競馬」

私は「34万円ものお金を持っていなくて貸すことは出来ないけど、僅か1万円だが差し上げます」
と言って彼に一万円を渡しました。

明日、彼はこの一万円札を握り締めて京都競馬場に走り、紙くずとなる事を予期しながら。
貧乏学生の私にとっては、なけなしのお金でしたが、過去、彼の父親にお世話になりましたから。


それから1年弱後、お盆で帰郷した時に、母と偶々彼の父親の話しとなりました。

母「そういえばこの三月、共済組合から34万円を借りていましたよ。結婚式の費用とか家の普請でもないし、何のお金かしら?」

私「アハハ! それは息子の競馬の借金の穴埋めだよ!」
私も含めて、息子と言うものは、親に迷惑をかけるものですね。


尚、それから間もなくですね。
山科に新しいアパートが出来て、そこへ内緒で引っ越したのは。

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