それは競馬の借金でした
私の履歴書・98 |
《化け猫屋敷にやって来た知らない人》
かの組織の私を探す事を諦めたのは、三ヵ月後でしたね。
幸な事に、この化け猫屋敷が、絶好の隠れ蓑になったのですからね。
幸な事に、この化け猫屋敷が、絶好の隠れ蓑になったのですからね。
この化け猫屋敷を訪れて来る人と言えば、旅行や帰郷を終えて京都に舞い戻って来た人達でした。
何せこの屋敷は京都駅から徒歩で10分弱ですから。皆、夜行で帰ってきますからいつも早朝起されます。
何せこの屋敷は京都駅から徒歩で10分弱ですから。皆、夜行で帰ってきますからいつも早朝起されます。
秋も終わり頃の宵に、真っ暗な階段を上って私の部屋を訪れた人がいました。
全く知らない人でした。でもよくぞ引き返さなかったですね。
全く知らない人でした。でもよくぞ引き返さなかったですね。
彼の開口一番は「先輩!」
聞けば、彼は本荘高校の二年後輩。
彼の父親・小川五郎氏(仮称)は、私の本荘中学時代の体育の教師。
彼の父親・小川五郎氏(仮称)は、私の本荘中学時代の体育の教師。
その息子の彼は、私を知っていたそうですが、私には全く記憶に無いのですが。
どうやら、大学で私の住所を聞いてこの化け猫屋敷に来たようです。
どうやら、大学で私の住所を聞いてこの化け猫屋敷に来たようです。
何事かと思いました。
何事でした。
何事でした。
「お金を貸してくれ! 34万円」
大金でしたね。当時の大卒初任給の10倍ですからね。
当然持っているはずはありません。
当然持っているはずはありません。
私は「そんなお金は持っていないが、晩飯ならご馳走出来るよ」と言って近くの七条新町の居酒屋横居に彼を連れて行きました。
その借金の原因とは「競馬」
私は「34万円ものお金を持っていなくて貸すことは出来ないけど、僅か1万円だが差し上げます」
と言って彼に一万円を渡しました。
と言って彼に一万円を渡しました。
それから1年弱後、お盆で帰郷した時に、母と偶々彼の父親の話しとなりました。
母「そういえばこの三月、共済組合から34万円を借りていましたよ。結婚式の費用とか家の普請でもないし、何のお金かしら?」
私「アハハ! それは息子の競馬の借金の穴埋めだよ!」
私も含めて、息子と言うものは、親に迷惑をかけるものですね。
私も含めて、息子と言うものは、親に迷惑をかけるものですね。
尚、それから間もなくですね。
山科に新しいアパートが出来て、そこへ内緒で引っ越したのは。
山科に新しいアパートが出来て、そこへ内緒で引っ越したのは。
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