さすがは栗田騎手の息子
大レースの都度、午後一時以降に来て、軸馬一頭と紐二頭を教えてくれるのです。
それが、毎度、必ず的中!
それが、毎度、必ず的中!
当初は皆、それから祇園の場外馬券売り場に駆けつけたのですが、混んで混んでいつも時間切れ。一時間位並んだだけでは買えなかったとのことでした。毎回、まともに買えないから皆諦め。
払戻金は確か3千7百円。それを一万円ですから37万円ゲット。当時としては大金でした。尚、栗田騎手の息子は、武豊や福永のように、二世騎手にはなれなかったです。身長と体重の問題で。
(追記)増井のばあちゃんの写真と若宮のたこ焼き屋の場所は下記URL。
私の履歴書・86 春夏甲子園・鉄人衣笠の思い出
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/53932611.html
私の履歴書・86 春夏甲子園・鉄人衣笠の思い出
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/53932611.html
《競艇選手になれなかった男》
当時の私達は、競馬をする者を卑下していました。最後の直線で、大外からドドドォ~!て最後尾から一気に追い抜く姿は、負け犬が好む姿。
その点、競艇は最初から頭なら、最後まで頭。つまり強者の姿。
眠り狂四郎と言われた運転手の13歳年下の弟・岸田常雄君(仮称)が、丹後の高校を卒業したものの目指す会社に入れず、ここ工務店にアルバイトでやって来ました。
「休暇か?」
「辞めてきた!」
「ナニッ? 辞めたと!アホかおまえは!」
「痔ろうになって舟には乗れなくなった!」
「根性無いやっちゃ!おまえは!」
「辞めてきた!」
「ナニッ? 辞めたと!アホかおまえは!」
「痔ろうになって舟には乗れなくなった!」
「根性無いやっちゃ!おまえは!」
それから一ヶ月間の毎日と思い出す都度、常雄君は我等に小突かれました。
我等の無念さはそれはそれは甚大なものでした。
我等の無念さはそれはそれは甚大なものでした。