春夏甲子園・鉄人衣笠の思い出
私の履歴書・86 |
《若宮のたこ焼屋》
当時、特に印象深いのは、鉄人衣笠ですね。
彼は、ご存知、父はアフリカ系米国人。母、日本人。ハーフ。
彼は、ご存知、父はアフリカ系米国人。母、日本人。ハーフ。
衣笠は、いつも店の入り口のパイプ椅子に学生帽を深くかむり、じっとうつむいて座っています。
衣笠は、小柄。ボスは「きゃつ(衣笠)の手を見ろ!手袋だ!」と小馬鹿にします。
衣笠は、小柄。ボスは「きゃつ(衣笠)の手を見ろ!手袋だ!」と小馬鹿にします。
衣笠は、命じられるままに恥ずかし気に両手を皆にかざします。衣笠の両手を見て驚きましたね。
混血特有の手の甲の皮膚の色もさることながら、なんと大きな手!太ぶと節くれの指!
混血特有の手の甲の皮膚の色もさることながら、なんと大きな手!太ぶと節くれの指!
然も、手の平や指は、豆が固まった大きな「いぼ」だらけ。血がにじんでいるのもある。
ボスは、驚く我らを尻目に、更に得意げに衣笠を見下したように言うのです。
「きゃつは、毎夜、素振りを一千回もしてはる!」 更に「その割には打てへん」
「きゃつは、毎夜、素振りを一千回もしてはる!」 更に「その割には打てへん」
投手の池田は、早稲田大学野球部で2年の時活躍しましたが、いつの間にか消えてしまいました。
この彼等も、そして我々も、高校時代、せめて衣笠の爪の垢を煎じて飲んでいましたら、全く別の人生を歩んだかもしれませんね。
壇上から降りて私の二つ隣の席を通り過ぎる時に、私は普通の声の高さで言いました。
「京都のたこ焼屋の増井のばあちゃん!」
かれはそれから十歩ほど通り過ぎてからふと立ち止まり、やおら振り返りましたね。
そして、小手をかざす私の顔をみつめて、にっこり!
そして、小手をかざす私の顔をみつめて、にっこり!
何十年経っても、あのばあちゃんのたこ焼屋は、忘れるはずはないですよね。
★
(追記)2013.11.07
別の記事で書いた増井の婆ちゃんに関しての記事を転記します。
《戦時中、中国で商売をしていた増井の婆ちゃんから教わった話》
質素な男と、ぐうたらな男がいた。
質素な男は酒もタバコもやらず、ひたすら貯金に励んだ。
ぐうたらな男は大酒飲みで、空き瓶を縁の下に積み上げていた。
ぐうたらな男は大酒飲みで、空き瓶を縁の下に積み上げていた。
世の中が変わった!
質素な男の貯金は紙切れとなり、明日の米さえなかった!
ぐうたらな男は、空き瓶が高値となり、米と交換し、食うには困らなかった!
ぐうたらな男は、空き瓶が高値となり、米と交換し、食うには困らなかった!
★
写真は1979年(昭和54年)増井のばあちゃん、岡本さん、私の娘(当時四歳)
注)当時の増井のばあちゃんのたこ焼屋の住所
京都市下京区若宮通り正面下る鍵屋町
丁字湯(2004.04.30廃業)の南隣(画像の向こう隣)
(参考)http://www004.upp.so-net.ne.jp/ofuroyasan-teki/kyotoeki3.html#丁字湯
http://www.inorg.net/sentou/shimo/cyoji.htm
京都市下京区若宮通り正面下る鍵屋町
丁字湯(2004.04.30廃業)の南隣(画像の向こう隣)
(参考)http://www004.upp.so-net.ne.jp/ofuroyasan-teki/kyotoeki3.html#丁字湯
http://www.inorg.net/sentou/shimo/cyoji.htm
注)衣笠祥雄
http://earth-words.org/archives/6005
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A3%E7%AC%A0%E7%A5%A5%E9%9B%84
http://earth-words.org/archives/6005
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A3%E7%AC%A0%E7%A5%A5%E9%9B%84
(追記)2016.03.27
丁字湯のオーナーは福井出身。
福井の中学校を卒業したばかりの女の子二人が我ら入浴中、番台や浴槽洗い場の片付けにやってくる。
背は150cmそこそこだが、あどけさが残る真っ白な少女らしいふっくらとした肌。
我らのイチモツを遠慮なく見るのだが、我らに対して警戒心はほどかず。 ヽ(´▽`)/
丁字湯のオーナーは福井出身。
福井の中学校を卒業したばかりの女の子二人が我ら入浴中、番台や浴槽洗い場の片付けにやってくる。
背は150cmそこそこだが、あどけさが残る真っ白な少女らしいふっくらとした肌。
我らのイチモツを遠慮なく見るのだが、我らに対して警戒心はほどかず。 ヽ(´▽`)/
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