大雪での悲しい思い出

私の履歴書・37〈中学時代ー10〉
今日は大晦日。昨日は西日本でも雪が降ったようですね。東北・北海道は大雪だった模様。
大雪と言えば、昭和33年(1958)の冬を思い出すのです。前年もこの年もよく降りましたからね。


《鳩》この年の初夏、利君から鳩のつがいを譲ってもらいました。
家の裏に中型冷蔵庫位の大きさの鳩小屋を作って、三ヵ月後から毎朝放しました。

母には、汽車に乗る時に鳩を入れたバスケットを持ってもらい、行った先の駅から放してもらうのです。

学校から帰ると、ちゃんと鳩小屋に帰っています。その都度、うれしかっですね。

そのうち、鷹に追われたレース鳩が迷い込んだり。ある夏の日、その迷い鳩が卵を産み、雛がかえりました。
処が、間も無く、それまで毎日放鳥しては帰ってきていましたその鳩がご帰還しないのです。

産毛がチョボッと辛うじて生えた位でしたので、とうもろこしや麻の実等の餌は硬くて食べれません。
そこで私が毎日鳩の餌を口に入れて噛み砕いて、口移しで餌をあげました。生で噛んだら苦かったですよ。
その他に、牛乳を口移しで毎日。

ある夏の日、うっかりビンに残った牛乳を、傍の塀に置いたまま忘れていました。
昼過ぎに忘れた牛乳を見つけ、その場で一気に飲み干しました。

暫らくすると、上半身の皮膚が赤く盛り上がって痒くなりました。
蕁麻疹(じんましん)です。食中毒。早速、医院に走りましたね。


この年の暮には、鳩も六羽になり、いよいよ雪が降り出しました。
処が、ドカ雪が来ました。

そのドカ雪が消えないうちに次のドカ雪が来ました。街の積雪は1メートルは超え、家の裏のひさしの下にある鳩小屋は、屋根から落ちてくる雪で埋没しそうな程にまで。

毎日、毎日、ド~ンと降りましたね。当時、路地でしたから、家の雪は、そりで表通りまで運ばなければならないのです。

屋根からの雪は、遂に下の雪とつながってしまいました。吹雪の中、毎日何度か雪を掘り起こし鳩に餌と水をやりました。

然し、私の体力にも限界が来ました。高熱を出しフラフラ。起き上がれなく医者に来てもらいました。
家族の皆も、疲れていましたね。雪運びで。毎日が吹雪。

禁止されていましたが、誰もいない時に、ふらつきながらも背の高さ以上の雪の上を歩いて裏までたどり着きました。鳩小屋は、雪の中です。一生懸命雪掘りをしました。生きていました。ひさしの真下に隙間がありましたからね。

更に風邪は悪化。吹雪は止まず。小止みを狙って二日後に行きましたら、完全に埋没。
皆、死んでいました。その場で、泣きましたね。




イメージ 1
写真は、現在の温水プールの建物です。

この周りの樹は、海風で全て右に傾いています。
海からは離れているのですが。

日本海の荒波」と同時に「日本海の荒風」