初めてお酒に酔った日

私の履歴書

〈ふるめえ〉
隣の1個年下の勉君の家は農家。二年間(小2・小3)春は田植え、秋は稲刈りを手伝いました。
農繁期には人手が足りないとの話を聞いて、母と手伝いに。母は、農家の娘ですから、慣れたもの。

この家の農作業が全部終わると、「ふるめえ」と称して、夜、当該農家主催の宴席が催されます。
「振舞(ご馳走すると言う意味)」が、なまったのでしょう。全員にお膳が付く。

最初の「ふるめえ」の時は、無論、母同席。この時に、周りからどぶろくを勧められても遠慮して飲みましたね。
恐る恐る母の方を、チラチラ見ながらね。

この頃は、自宅では依然として毎日囲炉裏に掛かってあるどぶろくを盗み飲んで鍛えられていましたから、多少の事では全く酔いはしないのです。皆、どんどん注いで来ます。母は、どう言う訳かにこにこ顔でした。

次の農繁期からは、母は多忙で、手伝いは私のみ。そして、待ちに待った「ふるめえ」です。
今度は、母がいないですから、皆、遠慮なく注ぎに来ましたね。

この時は、イッチョマエ(大人一人前)のどぶろくを飲んだから、体が熱い。ほをが火照る。
でも、ちゃんと歩ける。中座して、ちょっと遊ぼうかで、勉君を自転車の荷台に乗せていざ出発。

だが、自転車は、横転する。やり直しで、彼を再度荷台にのせ、今度こそ!と前進するが、垣根にドサッと崩れ込む。何度挑戦してもドサッ。仰向けに倒れて見上げた夜空は星屑いっぱい!

あ~、これが、お酒に酔うことなのか!と初めて実感しました。

イメージ 2
隣の勉君の家



(日本刀)
元庄屋さんの家に遊びに行った時です。家の梁に、本物の槍(やり)がかけられていました。
日本刀は、半分に折れたもの。それでも、これを手にした時は、ズシリ! 重たい!

それを持って、裏山に行きました。京都の竹林のような所へ。
斜めにエイヤッ!と振り下ろすと、青竹が「スパッ!」と切れる! 

危うく、勢い余って自分の足を切るところでした。
しかし、日本刀の切れ味って、すごい! 


後日、東映チャンバラ映画「冨士の夜襲」を観た時、この日の事が思い出されました。
曽我兄弟(兄の曽我十郎は中村錦之助、と弟の曽我五郎は東千代之介)が、父の仇を討つのですが、夜襲の前に、兄十郎が刀で青竹をズバッと切り、竹の筒で最後の酒を飲み交わすシーンです。


(戦争体験実話)
尚、この頃、神社に行きますと、いつも、戦争帰りの村人が二人いました。
飛行機や軍艦の事や、南方でのジャングルでの事など聞きました。

行く都度、「それで!」「それで!」と次から次へと、私達が聞くものですから、ネタ切れで遂に話しましたね。
「人を食べた!」「死んだ同僚を!」「人肉は味がなかった!」
びっくりしましたね。

イメージ 1
写真の背景が十和田湖「乙女の像」高村光太郎の彫刻作品。

昭和28年10月除幕式

(写真の右端が当時の私)