児童の才能を伸ばした先生
私の履歴書⑪ |
全員画板を肩に掛けてです。絵を描くのです。
よく歩きましたので、途中、湧き水があったら休憩。だが、田園散策の時は、湧き水がありません。
よく歩きましたので、途中、湧き水があったら休憩。だが、田園散策の時は、湧き水がありません。
先生は、田んぼの横を流れるせき(水路)を見て、このせきは飲める、このせきは飲めないと目視判断。
そのせいか、後日、虫下しを飲んだら、遊んでいる時でも、お尻から回虫が出てきましたね。
そのせいか、後日、虫下しを飲んだら、遊んでいる時でも、お尻から回虫が出てきましたね。
矢島駅下車。行き先は発電所。
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発電所の中を写生。私は高さが10m弱で、ソロバンの玉の形の発電機を描きました。
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郡の写生大会が象潟であった時は、矢島線から羽越線で象潟へ。
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無論、ネコちゃんに会いに蚶満寺(かんまんじ)に行き、そこで絵を描きました。
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描いたのは、池に写る山門です(写真)。
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今、振り返りますと、年吉先生の休日は、児童の為にあったのですね。
全県図画コンクールや郡の絵画コンクールでは、全て、必ずこの数人の誰かが、金賞(一名)、銀賞(二名)、銅賞(三名)の中に入っていましたね。時には、この六名表彰の内、三名の時も。私は毎回??
今の御時世、こういう先生は、もう、いないでしょうね。
西滝沢小学校二年クラス写真
中央が佐藤年吉先生
私は後列、右から四人目
〈お小遣い〉この頃のお小遣いの使い道は、全部買い食い。毎日、母は、財布の中から10円をくれます。
母が多忙の時は、置いてある母の財布から私が直接10円抜き取る事になっていました。
その内、一度抜き取り、ちょっとしてから再度抜き取り。
これが日常化して、私目のお小遣いは、規定の毎日十円ではなく二十円。
母が多忙の時は、置いてある母の財布から私が直接10円抜き取る事になっていました。
これが日常化して、私目のお小遣いは、規定の毎日十円ではなく二十円。
その頃、中学生だった姉は、当時の私の印象を「いつも、キャラメルをクチャクチャ」と言っています。
又、兄弟皆が、何故か私は金持ちだと思っていたとの由。秘密はばれていなかったのですよ。
参考)http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/48871512.html
又、兄弟皆が、何故か私は金持ちだと思っていたとの由。秘密はばれていなかったのですよ。