児童の才能を伸ばした先生

私の履歴書
〈児童を伸ばした先生〉小学二年と三年の二年間、担任の佐藤年吉(ねんきち)先生は、度々、休日に何処かに連れて行ってくれました。参加者は5~6人。

全員画板を肩に掛けてです。絵を描くのです。
よく歩きましたので、途中、湧き水があったら休憩。だが、田園散策の時は、湧き水がありません。

先生は、田んぼの横を流れるせき(水路)を見て、このせきは飲める、このせきは飲めないと目視判断。
そのせいか、後日、虫下しを飲んだら、遊んでいる時でも、お尻から回虫が出てきましたね。

野山田園の散策だけではありません。時には、西滝沢駅から蒸気機関車に乗って、南へ、北へ。
南の鳥海山麓の終点矢島に行く時は、蒸気機関車は例の従兄弟の近くを通ります。

汽車の窓を開け、石炭の煙で顔が黒くなりながらも、上半身を窓から乗り出す。いよいよあの場所。
案の定、「カン、チン、バシッ、ガン」と音がするのです。従兄弟が置石をやっているぞ!と一人でニヤリ。


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矢島駅下車。行き先は発電所
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発電所の中を写生。私は高さが10m弱で、ソロバンの玉の形の発電機を描きました。
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郡の写生大会が象潟であった時は、矢島線から羽越線で象潟へ。
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無論、ネコちゃんに会いに蚶満寺(かんまんじ)に行き、そこで絵を描きました。
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描いたのは、池に写る山門です(写真)。
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今、振り返りますと、年吉先生の休日は、児童の為にあったのですね。

全県図画コンクールや郡の絵画コンクールでは、全て、必ずこの数人の誰かが、金賞(一名)、銀賞(二名)、銅賞(三名)の中に入っていましたね。時には、この六名表彰の内、三名の時も。私は毎回??

今の御時世、こういう先生は、もう、いないでしょうね。

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西滝沢小学校二年クラス写真
中央が佐藤年吉先生
私は後列、右から四人目


〈お小遣い〉この頃のお小遣いの使い道は、全部買い食い。毎日、母は、財布の中から10円をくれます。
母が多忙の時は、置いてある母の財布から私が直接10円抜き取る事になっていました。

その内、一度抜き取り、ちょっとしてから再度抜き取り。
これが日常化して、私目のお小遣いは、規定の毎日十円ではなく二十円。

その頃、中学生だった姉は、当時の私の印象を「いつも、キャラメルをクチャクチャ」と言っています。
又、兄弟皆が、何故か私は金持ちだと思っていたとの由。秘密はばれていなかったのですよ。

参考)http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/48871512.html