可愛い女の子の気を引く方法

私の履歴書

昭和27年(1952)直根(ひたね)村にきてからの二年目、ようやく一年生となりました。
これで退屈なる日々が終わったと思ったのですが。

〈困った児童〉ここで問題が起きました。入学時の私は、既に足し算・引き算・九九が出来たのです。受け持ちの 馨子先生の授業など、退屈極まりないのです。授業態度の極めて悪い子なのです。

私はいつも椅子に座ると四本脚の一本のみで身体を支えながら腰を動かすものですから、私の椅子の下の木の床は、窪みが出来るのです。

どうして小学校に上がる前に、一年生の勉強が出来たかと言いますと、理由があるのです。五歳の退屈なる私は、廊下から一年生の教室の窓にひじをついて優子さんを見ていました。

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優子さんは小さいので最前席。優子さんがまともに見えない。
どうしたら、横や後ろを振り向いてくれるか私なりに考えました。

「よし!僕も勉強しよう!」
そこで、兄達が使い古した小学校一年生の教科書で、兄達に勉強を教えてもらったのです。

先生が、「は~~い! この問題、分かる人!」
真っ先に、「はい!」と廊下で手をあげる私。

その都度、振り返って私を見つめる優子さん!
この一瞬が、仕合せでした。
小学校1年生になる前年のことですね。

尚、小学校1年での私の隣の席は君子さん。
クラスで一番可愛い女の子は三四子さん。
男友達は、軍八(ぐんぱち)君でした。

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直根小学校1年学年写真(二クラス)
左の女先生が担任の佐藤馨子先生。
前から二列目、左から四人目が私。


〈先生の恋愛)
一年生になって気が付いたのは、顔見知りの給仕(教員室でお茶を入れる人)さんがいた事でした。

若い男の次男(つぎお)先生の宿舎は、学校の門の横の板の間下宿。木造アパートの形ですね。
この部屋は校庭と隣接していましたから、校庭で遊んでいた就学前の五歳の時、いつものぞいていたのです。

ある日、若くて色白な素敵な女性が部屋にいるではありませんか。
次男先生は、私を部屋に呼んで、お菓子をくれました。

私は、きれいでやさしく微笑んでいるその女性に見とれていました。

一度、お菓子の味をしめた私は、ひんぱんにのぞきました。
彼女が部屋にいますと、必ずお菓子をくれましたからね。パブロフの犬となったのです。

無論、二人が部屋にちょくちょく一緒にいることは、母に言っていました。
一年生になり、それが給仕さんだと母に報告すると、母は、はたと手を打ちましたね。

それから間も無く二人は結婚しました。
私の小学校六年の時の担任が、この次男先生。当時の事をひやかしたら赤面していましたね。

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付記)直根では猫(名前ちゃぺ)を飼いました。この猫の子が、象潟(きさかた)の蚶満寺(かんまんじ)に貰われて行きました。その後、蚶満寺へ、子猫に会いに行った記憶があります。

    参考)蚶満寺で松尾芭蕉が詠んだ俳句 「象潟や雨に西施がねぶの花」