京都に在った諏訪湖より大きな池
湖と言わないのは、深さが、90cm程しかなかったからである。
無論、古代、京都市内は、海であったことを知る人は、ほんの僅かな郷土歴史家だけでしょうね。
.参考)地図原本コピーは、下記私のブログ記事に掲載してあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/61587198.html
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これは、それ以降の地図で、大山崎歴史資料館に掲示されているものです。
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/61587198.html
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これは、それ以降の地図で、大山崎歴史資料館に掲示されているものです。
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この歴史についてはさておき、伏見から見下ろす巨椋池(おぐらいけ)から奈良を見わたせる景観に魅了された人に、桓武天皇・関白藤原頼通(よりみち)の子の橘俊綱(たちばなのとしつな)・豊臣秀吉を挙げることが出来ます。無論、いつの世も、みやびと達の舟遊び場でもありました。
この歴史についてはさておき、伏見から見下ろす巨椋池(おぐらいけ)から奈良を見わたせる景観に魅了された人に、桓武天皇・関白藤原頼通(よりみち)の子の橘俊綱(たちばなのとしつな)・豊臣秀吉を挙げることが出来ます。無論、いつの世も、みやびと達の舟遊び場でもありました。
今は、昔を偲ぶと言えば、全平らな田んぼが広がっていることでしょか。1
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追記)2007.5月12日
肝心な事を書き忘れました。
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かって、貧し過ぎる夫婦が、いつか再び一緒になることを条件に、一旦別れるのである。
かっての夫婦の別れる時の約束は、事ここに至っては、果たせず。
言いたくはないが「覆水、盆に帰らず」なのである。
言いたくはないが「覆水、盆に帰らず」なのである。
映画では、「お遊さま」というタイトルで、田中絹代が、美しく、切なく、この別れた妻「お遊」を演じている。古過ぎる映画ではあるが。
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1973年(昭和48年)頃、当時の京都本社『近畿土地(株)』がこの巨椋池の東よりの埋立地(宇治市小倉)で建売住宅を販売。ボロ儲けしました。何しろ当時は大雨になると直ぐに床下浸水する土地なのに、それを伏せて販売したのです。
(地図)
https://www.google.co.jp/maps/@34.8947875,135.7837537,11263m/data=!3m1!1e3
(地図)
https://www.google.co.jp/maps/@34.8947875,135.7837537,11263m/data=!3m1!1e3
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