神戸淡路大震災の水無瀬での記憶

【以下は四年前2007年の私のブログ記事です】


あの日から十二年になる。
死者6436名を出した阪神淡路大震災から。

神戸からは離れているが、ここ水無瀬もこの地震に襲われた。
断層が、神戸から京都・嵐山へ伸びており、その線上途中に水無瀬があるからだ。


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更に水無瀬の先には京都伏見区。ここでは、古い木造アパートが全壊したがあまり知られていない。


地震の一年前弱から、京都府北部で、震度1~2の地震が連発。
何と、地震の無い関西でどうなっているのだ!と疑問を持ったもの。
ところが、夏になるとピタリ!!と止む。
それから半年後、当に、不意打ちの大地震であった。




あの日の記憶は鮮明によみがえる。今でも。


    ☆    ☆    ☆


私は、妻に身体を揺すられた。覚醒。
ゴ~~~~と言う音。襲って来る。
一瞬、昔、埼玉・和光市での津波が襲ってくるような轟音の直下型地震が閃く。

反射的に立ち上がる。
迫る轟音が直ぐそこに迫ったとたん、もんどりひっくり返った。
ただ事でなない!と本能的に直感。

リビングに出るも、天井の四方八方隅々から「バチバチ」台所から「ガチャガチャ」
けたたましい!!。耳が割れそうだ。
コロの付いたテレビは、リビングを右往左往。

直ぐに隣の息子の部屋。ベットの息子は無事か!。

四間向こうの娘の部屋に急ぐ。
転ぶ!!立ったら又転ぶ。壁に手を付けていても転ぶ。
僅か四間で四回転倒!

娘よ!!大丈夫か??
辛うじて娘の部屋にたどり着く。
本棚が娘に覆いかぶさっている。
娘の名前を呼ぶ!!

倒れた本棚の下から娘の声!!生きている!!。
ベットの端がつっかえ棒の役割をしていたのだ!。無傷!!。


リビングに戻ると、そこはゴミ捨て場と化している。
余震は続く。

自分の布団を見て驚く。
布団の上には、タンスの飾り棚。
こいつが重たい。
転勤族に桐タンスはバラバラになるとの話で、材質は桜。
二十キロはある。
もしも、直ぐに起き上がらなかったら、ドスン!で骨折!!だった!。


灯りは??。
ろうそくを探し当てる。

ラジオはないか??
カセットに付いているラジオ。
電池が無い!
単一が六個要る。
あと一個足りない!!
アッ、そうだ!!瞬間湯沸かし器に一個あるはず。


一本のろうそくの灯火に、家族四人が身を潜める。
ラジオに耳をそば立てる。

時間が経過する毎に、被害は大きく報道されて行く。

顔、歯磨き、トイレ、水だ!!

風呂に水があるぞ!

バスルームに走る。だが、風呂の水は、ほとんど空だ。
揺れて、ザブン、ザブンと何度も揺れて、水が飛び出したのだ。


助かった事がある。
札幌時代、買い換えたソファ。これが、札幌のマンションのサイズではピッタリなのだが
ここでは大きすぎる。
この大きくて重たいソファが、リビングの棚の倒れを防いでくれていた。

寝る前に端に寄せた電気こたつが、リビングの飾り棚の扉の開放を防いでいた。


  ☆    ☆    ☆


ここの住民の半数以上の家庭で、テレビと食器棚が倒れた。冷蔵庫も倒れた所も多い。
別の棟では、鉄製のドアが開かなくなった。

私の家の場合、何の対策もしていなかったが、それぞれの家具が、
それぞれの役割を演じてくれていた。

「不幸中の、さいわい」とでも言うべきであろうか。




【下記は3年前2008年の記事です。或る会社の震災の時の対応記事二編です】