京都・広隆寺の蝋梅と寒桜

正月に東京から京都に観光に来た友人が太秦広隆寺に蝋梅(ろうばい)が咲いていると言う。
早速、出かけた。

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咲いている。弥勒菩薩(みろくぼさつ)さんの建物の入り口に一本。



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向かい側の池の傍に一本。


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その時、お日様がのぞいて、黄色い素心蝋梅(そしんろうばい)は輝く。

モンシロチョウが、いっぱい止まっているかのように。


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おはなし、したいのかな?


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見られるのが恥ずかしいのかな?



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友人に頼んだ。お正月に私からの弥勒菩薩さんへの伝言を。

友人が、弥勒菩薩さんにお会いして「minaseyori(私)が、宜しく!との事です」と言ったら、
弥勒菩薩さんは、たいそう、お喜びになり、ほほえんでいたとの由。


遅ればせながら、私も今日、弥勒菩薩さんにお目どおりがかなえられた。

「あなたとお会いするのは、今回で何十回目ですかね」と問いかけたら
笑顔で小指を三本立てた。そうですね、三十回程になるでしょうね。


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弥勒菩薩さんに、新年の挨拶を済ませ、外に出て、固い梅のつぼみを見ていたら、
男女若者六人に声をかけられた。仙台から来たと言う。

「シャッターを押してくれませんか」と。

私「ここで撮るのはもったいない。せっかくのことだから、弥勒菩薩さんの入り口の
蝋梅の前で撮ろうよ」

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そして引き返して、素心蝋梅(ソシンロウバイ)の前でパチリ!!
私「もっと変化をつけて!」と彼らをアクションさせて、もう一枚パチリ!

彼らに質問した。

弥勒菩薩さんに、お会いしたら、何と言っていましたか?」
彼らは、顔を見合わせて不思議そう。

「おさい銭、しましたか?」
「しなかった」

弥勒菩薩さんの指を見ましたか?。マネ~!と言っているのですよ」
彼らは、はっとして、再度、弥勒菩薩さんに会いに行った。



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境内をぶらぶらしていたら、あっ!寒桜が咲いている!

間も無く、先程の連中が、おさい銭を終えて帰って来た。



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「おさい銭して、弥勒菩薩さんは、喜んだでしょうよ。何と言っていましたか?」

「------------」

「『Good !』(グ~)と言っていたでしょう」と私は弥勒菩薩さんの真似をして指で丸い輪を作った。


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今日の弥勒菩薩さんは、御機嫌だった。

京大生が、あの指を折ってから、弥勒菩薩さんとの距離は、ガードで遠くなった。

昔、あの、かすかな息が聞こえるような距離の時は、我が身を恥じ、心が洗われていくような
戦慄をおぼえたもの。

今、この距離での弥勒菩薩さんは、随分、やさしくなったものだ。