妻が夫を殺し生ゴミとして捨てる原因は?

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くしくも、前回の昨日10日、早朝にブログに書いた雑記「日記を書く女性は怖い? 」の中で、妻は夫へ復讐の態様を掲載。当に、今日の新聞の「(昨日の夜)被害者の妻の逮捕」の記事であった。

亭主は、その肉体を切断され、新宿と渋谷の路上でゴミ袋に入れられ捨てられたのだ。
生ゴミとしてだから、亭主は、生ゴミと同じ、忌み嫌うべきもの!と言う事か。

この事件と同様、先日の歯科医の次男の妹殺人も、共通点がある。

①被害者は、一種のドメステック・バイオレンスの加害者である。
②何れも、死体を切断し、何食わぬ顔で、その後、何ヶ月か経過。自首はしていない。
③生活レベルは、一般市民より上。

これは、何を意味するのであろうか。

一言で言うとしたならば「戦後教育を受けた親の回答」である。

では、その親を創造したのは?、と言うと、戦後の文部省と日教組である。
詳細は省くが、敗戦により「民主主義」と「自由」という概念が導入された。



この「自由」=「個人の尊重」と言う言葉に置き換えた事に、根本原因がある。



欧米での「自由」とは、「自由主義経済」を意味していたのであり、
他方、「奴隷等の束縛からの自由」をも意味していたのである。



これを、日本人の解釈は(途中を省略すると)「子供を叱らない事が、個人の尊重」となるのである。
「放置し、かってきままにさせる事が、個人の自由の尊重」となるのである。

拠って、叱れない親の出現であり、イコール、「子供をホッタラカシの居直った親」のまん延である。


更に、これに輪をかけたのが、「ICゲーム」である。

ゲームの中では、他人を殺すほどポイントはアップする。
自分が死んでも、リセットすれば再度生きてゲームが出来る。
自分さえ勝てば良いのだ。この影響は、TVのマンガどころではない。



ペットだった捨て犬が急増している。

都合が悪くなったら捨てる。それを、子供は見ている。泣きながら。
だが、自分さえ良ければ、全て良し!という概念が子供に潜在的に伝わる。

この延長線上に、「いじめ」があるのである。


これら問題の解決には色々の考えがあると思うが、私見では、百年の計となるが、「教育」がキーワードと思う。

教職員のレベルの向上・社会的地位の向上・報酬の優遇・賞罰の厳格化・子供&親をも同時教育・強制権限の付与等が必要である。

無論、この大前提として、日本国政府は、「望む子供の姿」について、我等市民に問いかけ、論議する必要があると思う。他方、ワイセツや精神異常・無能の問題教員の首切りの法制化である。