やはり異常だった後藤親子
井戸端会議用ネタ
後藤 健二(ごとう けんじ、1967年 - 47歳) 別れた母:石堂順子74歳
(Junko Ishido, Mother of Kenji Goto who is a Hostage by the Islamic State group)
(ユーチューブ)http://youtu.be/b2D9VYT8q-A
◆ ◆ ◆
(注)ユーチューブ開始から30分12秒⇒32分15秒の間で、父親が朝鮮半島に在住し軍隊の高官であったことが話されている。突然自慢話?
「私の父は軍人です。朝鮮とか、そういうところの、今ちょっと言葉が出ないのですが、かなりのトップだったと思います。それで私にはいつも軍用車と、それから、三角形のひらひらする旗のある自動車で送られていました。(中略)お爺ちゃんが朝鮮マサンの宿舎に訪ねてきた(以後省略)」
ここでは、自分の父親は陸軍の高官で、転勤で家族共々日本本土から朝鮮半島に渡り、宿舎に居住したとしている。
名簿によると、確かに朝鮮軍に『石堂〇〇中佐』の名前がある。
(名簿)
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私、記者会見のライブ映像を観ながら思いましたね。
世の中、こういう親がいるんですね。
冒頭で『日本政府と日本国民』と言っているが、普通の日本人だったら『日本国民』とは言わない。『日本の皆様』という。
日本人は『妻である嫁』とは言わない。『妻』、又は『嫁』のどちらかで言う。
原子力がどうしたって?
意味が分からん。
前夜この会見用の原稿書きしたようだが、言っていることが前後支離滅裂。
『原子力が地球を壊している』
『いい地球を創るためには私の命はどうなっても構わない』
この会見ではあなたの命を問うているのではない。
ここでは、原子力や地球やあなたの命はどうでもいいことなのである。
何度も繰り返すことは自分の息子が素晴らしいこと。
確かに依頼され、紛争地に於ける子供たちの悲惨な境遇を彼の撮った写真で幼稚園や小学校や大学の教壇に立ってきた。
更に母親は繰り返す。友達を救うために我が身を捨てる素晴らしい息子よ、と。
会見が終わってから外人記者が呟く。
オーマイゴッド!
母親 石堂順子
「一般社団法人 P.B.J」の理事長
カラオケ、ヨーガ、気功
かって自宅で塾を開いていたから、その板の間の部屋を活用したものだろう。
(右の画像) 自宅の外観写真
看板にPBJの文字が見える。
◆ ◆ ◆
Christian Today(クリスチャントゥデイ)
【インタビュー】国際ジャーナリスト・後藤健二~それでも神は私を助けてくださる~
2014年5月30日11時32分 印刷
混乱と激戦が続くシリア。4年前の内戦勃発以来、この地で取材を続ける一人の日本人ジャーナリストがいる。
後藤さんは映像制作会社を経て、1996年に映像通信会社「インディペンデント・プレス」を設立。以来、世界各国の紛争地帯、貧困やエイズなどの問題を抱える地域を取材。
最後に後藤氏は、小さな聖書を差し出してくれた。いつも取材に出かけるときに手放さず持っている聖書だという。
十数年前に同教会の牧師から頂いたものだと言い、大切そうにページをめくっていた。そこには、「神は私を助けてくださる」(詩篇54:6)という言葉が。「この言葉を、いつも心に刻み込んで、私は仕事をしています。
多くの悲惨な現場、命の危険をも脅かす現場もありますが、必ず、どんな方法かはわかりませんが、神様は私を助けてくださるのだと思います」(以下省略)
◆ ◆ ◆
この日本基督教団とは、日本~と名乗っているが、本来は『韓国基督教団日本本部』と名乗るべき組織である。
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このビルに入っている組織の一部を抜粋
◆在日外国人の人権委員会
◆在日韓国基督総会全国青年協議会(全協)
◆在日韓国人問題研究所
◆在日本大韓基督教会
◆在日韓国基督総会全国青年協議会(全協)
◆外登法問題と取り組む全国キリスト教連
◆平和を実現するキリスト者ネット
◆キリスト者女性のネットワーク
◆女たちの戦争と平和資料館
◆戦時性暴力問題連絡協議会
実は、後藤氏の妻の名前は『城後倫子』。
この『城後』をジョゴ(JOGO)と読ませているんですね。
つまり、彼は婿養子。
「週刊文春」2月5日号
人質殺害「イスラム国」禁断レポート
「10分300万円」に命を賭けた後藤健二さん47歳 書かれざる数奇な人生
▼「法政大ではアメフト部」卒業後は日立子会社に就職
▼ボディビルジムで500万円トラブル「風俗店経営」証言も
▼20代で通信社設立「前妻とはイラク行きが原因で離婚」
▼今の妻は東大卒JICA職員 自宅は赤坂マンション ほか
(一部抜粋)
(一部抜粋)
後藤さんと面識のあるジャーナリストが言う。
「…もし救出できれば世界的なニュースですし、映像が番組で流されれば、10分間で200万円から300万円ほどのギャラがもらえますから」命の危険も伴う取材だけに、それは相応な対価だろう。
実際、後藤さんはイスラム国に入る直前、「何が起こっても責任は私自身にあります」という動画のメッセージをガイドに託している。
だが、結果として、その決断は人質交換交渉にヨルダン政府も巻き込む外交問題に発展してしまった。
果たして、後藤さんにはどれほどの覚悟があったのだろうか。
ジャーナリストとして名を残すまでの後藤さんの歩みを振り返る。
1967年生まれの後藤さんは2歳まで仙台市で過ごし、その後、東京都世田谷区に転居した。
実家近くの住民が語る。
「お父さんは日立製作所の社員で、お母さんは自宅近くで塾経営をしていたようです。お兄さんとお姉さんがいる3人きょうだいの末っ子で、健二君は勉強が出来て、いつも友達の輪の中心にいました」
後藤さんの母親、石堂順子さん(78)が、1月23日に日本外国特派員協会で会見を開いて注目を集めた。石堂姓は順子さんの旧姓だという。
後藤さんの実兄(55)はこう説明する。
「はっきりとした時期は覚えていませんが、両親が離婚したのは20年程前です。母はそれより前、健二が高校生くらいの時に世田谷の家から引っ越しています。健二も母とはかなり長い間、連絡を取っていなかったと思います」
母親が家を出て以降、健二さんは父親と暮らしていたという。
法政大学の付属高校に進学した後藤さんは、1986年に法政大学社会学部に進学する、
長年の知人が語る。
「…大学卒業後は、父親の縁なのか、日立製作所の子会社に就職した。ところがサラリーマンがいやだったのか、3カ月で退社。その後は恵比寿のボディビルジムでコーチとして働き始めたのです」
そのジムのオーナーはこう振り返る。
……
オーナーの信頼を得た後藤さんだったが、金銭トラブルを起こしてしまう。
「1年くらい経った頃、会員の入会金と月謝、合わせて500万円もの額が、帳簿と会わないことが判明したのです。
本来お店に入っているはずのお金がなく、1日で30万円も勘定が違うこともありました。彼を問い詰めましたが、無言を貫くばかり。結局、それが原因でジムを辞めてしまうことになりました」(同前)
後藤さんはジムの傍らで、意外なビジネスにも手を出していたという。
「彼は風俗店をやっていたのです。家賃二十数万円の南麻布の高級マンションを借りていて、近隣住民から不動産屋に苦情がきたと聞きました。彼の周囲に聞いてみると、うちのジムでも女性をスカウトしていたんです」(同前)
当時のジムの同僚が語る。
「確かに後藤さんは羽振りが良かった。2万円もするランチを食べたり、プジョーを乗り回していました。…」
…
ジャーナリズムの門を叩いたのは20代中盤の頃だった。
(中略)
これ以前に後藤さんは、一度目の結婚をしている。
「ロイター通信など外国メディアで翻訳の仕事をしていた女性で、現在は大学の非常勤講師をしています。彼女との間には現在中3の子供がいます」(前出・知人)
…
結婚生活は長くは続かなかった。
「最初の奥さんとは10年以上前に離婚しています。後藤さんがイラクの取材に行こうとしていた時に、奥さんから反対されていたことが理由のようです」(同前)
(中略)
(前出フリージャーナリスト)
紛争地の取材を続けながら着実に実績を積み上げてきた後藤さんが、現在の奥さんと結婚したのは3年程前だった。
結婚後、後藤さんは奥さんの籍に入っていると聞いています。2歳と昨年生まれた赤ちゃんの2人の娘がいます。」(同前)
後藤さんの現在の自宅は赤坂の一等地にある。
……
お母さんは、昨年赤ちゃんが産まれたことも知らなかったと言いましたが、健二さんが再婚したことも知らなかったのです。
3年ほど前のお母さんの誕生日に後藤さんと一緒に食事をした時の写真を公開しましたが、それも何年ぶりなのか分からないほどだったそうで、疎遠な状態が続いていたのです」(前出・知人)
順子さんの記者会見では、健二さんとは関係のない話題も飛び出した。
取材に立ち会った夫の石堂行夫さんからも、『原子力はそれとして、早く本題を……』と促されるほどでした」(会見に参加した記者)