大東亜戦争:侵略したのは米国


今日の記事は、下記の記事の続編です。

自己の歴史観は正常ですか? 2014/8/3(日) 
自虐史観からの脱却  2014/8/4(月) 



戦後、GHQの金で創立した日教組は、昨今、自虐史観の教育を批判されると、今度は日本の子供たちに日本の建国の歴史も教えていないようだ。

教えたのは、日本は残虐悪辣であったという感覚的な自虐史観
私も、女子高校生への下記のアンケート結果をみて、愕然としました。



《女子高校生へのアンケート結果》

自国の建国の歴史について知っていたのは、18歳の女子高校生100人のうち2人。半分以上は回答がなかった。連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官、マッカーサーが建国したと答えた者が5人いた。(山本みずき「18歳の宣戦布告 国家観なき若者に告ぐ」=平成25年5月号)。



《戦前の日本がどういう国だったのかは外国人の方がよく知っている》

駐日フランス大使ポール・クローデルの讃える日本

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太平洋戦争のまっただ中の昭和18年(1943年)の秋、日本が敗戦濃厚だった頃に、フランスのパリで晩餐会が開かれました。ここに出席した方に、もと駐日フランス大使のポール・クローデルさんという方がいました。彼はそこでこうスピーチしました。

私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。

あれほど古い文明をその ままに今に伝えている民族は他にありません。
日本の近代における発展、それは大変目覚しいけれども、私にとっては不思議ではありません。

日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に欧米の文化を輸入しても発展したのです。どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はありません。

しかし、日本にはその資格があるのです。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのです。」

そして、最後にこう付け加えた。
「彼らは貧しい。しかし、高貴である」




1549年、キリスト教布教の期待をもって来日したフランシスコ・ザビエルは、日本人について次のような報告をローマへ書き送った。

「まず第1にいうべきことは、今までの交際によって知り得た限りにおいて、この国民は、私が出逢った民族の中で、最もすぐれている。

‥‥日本人は一般的に良い素質を持ち、悪意がなく、交際して非常に感じが良い。彼らの名誉心は極めて強く、彼らにとって名誉にまさるものはない。

日本人は概して貧しいが、武士も町人も貧乏を恥と考えている者はない。彼らには、キリスト教国民の持っていないと思われる1つの特質がある。(以下省略)




私のブログ記事
アムステルダムの光芒』

オランダ・アムステルダム市長・エドゥアルト・ヴァン・ティン(Edvard van Thijn)氏の歓迎の挨拶。

「あなた方日本は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分を蔑み、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。

あなた方こそ、自ら血を流して東亜民族を解放し、救いだす、人類最高の良いことをしたのです。





私のブログ記事
日本国民よ目覚めよ!とアジア諸国は言う  2013/12/3(火) 
戦前・戦中・戦後を通じて欧米のプロパガンダにより、洗脳されている欧米人。
それに同じく洗脳されている自虐史観の日本人。
近隣二国を除くアジア諸国は、日本人は自虐史観から脱せよと呼びかける。



私のブログ記事
大東亜戦争での米豪軍の実態を知ろう  2013/12/8(日)

『戦陣訓』の中の「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ」の件(くだり)に議論がある。

但し、大東亜戦争での南方の島々で捕虜になった日本兵や民間人は、米軍により皆殺しにされており、そのことが日本にも伝わっていた。まさに「鬼畜米獣」だった。
沖縄での集団自決は、そのような事実も根底にあった。



さて、本題

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アメリカ人が語る
「日本の戦争は正しかった」
欧米こそ歴史の見直しが必要だ

インタビュー:ヘンリー・S・ストーク

 第二次大戦の頃、世界には国の発展モデルが2つ存在しました。1つは、帝国主義によって他国を侵略し、植民地として支配して富やち資源を搾取していくモデル。もう1つは、白人による支配から解放され、独立国家として発展していくモデルです。
 
 日本は当時、2つ目のモデルを体現していました。日露戦争で勝利した日本は、欧米の植民地だったアジア諸国に希望を与え、1941年の真珠湾攻撃の数週間後には、500年に渡る欧米の植民地支配にピリオドが打たれるという期待がアジア中に高まりました。
 
 日本は、白人による世界支配を終わらせ、人種平等の実現を目指していました。これは先の大戦の重要なポイントですが、欧米人にはほとんど理解されていません。私はオックスフォード大学で政治学を学びましたが、日本が19年に国際連盟で、人種差別撤廃案を提出していた事実を教わりませんでした。

アジア独立の狼煙

 日本は当初からアジア解放の理念を掲げ、43年、東京で大東亜会議を開きます。アジア諸国の代表者が集まり、欧米諸国に対して、植民地主義の終焉と国の独立を宣言したのです。この時、基調演説をしたのが東條英機でした。
 
 私と同じ世代の欧米人は、「東條は自分の思想がない、単なる兵器のような人間だ」と考えていました。ところが、彼の演説は情熱的で、かつ当時の国際社会でも、トップクラスと思わせるほどの知性を感じさせる内容でした。

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 私は歴史を学ぶ中で、なぜこの時期に集中して、アジアの国々が次々と独立を求めて立ち上がったのか分かりませんでしたが、大東亜会議の内容を知った時、それが理解できました。日本はアジア諸国に希望を与えたのです。
 
 参加者の1人だったインド代表のチャンドラ・ボースも「日本はアジアの希望の光だ。とうとうインドからイギリス人を追い出すチャンスが来た」と演説し、その後インドを独立に導きました。

数百年に渡って続いた欧米植民地の崩壊は、驚異的なスピードで進みました。インドネシアでは、現地のオランダ軍が日本軍の前にわずか7~8日で降伏。イギリス植民地の香港も、数時間で瞬く間に降伏しました。そして、あの大英帝国までもが、インドの独立を認めたのです。
 
 こうして、アジアから欧米の植民地が次々と姿を消しました。結局、国家の発展モデルのうち、勝利を収めたのは日本が目指した2番目のモデルでした。
 
アメリカが忘れたい原爆投下と東京裁判
 先の大戦は、広島と長崎への原爆投下で終わりましたが、私たち欧米人はこの結末にいい思いを抱いていません。残忍なクライマックスを迎えたと考えています。
 
 アメリカの大統領で、在任中に広島、長崎を訪れた人はいません。アジア人も欧米人もこの戦争はまだ終わっていない面があると感じています。アメリカ側はあの戦争の現実を無視し、忘れ、隠したいのです。

(注)最近、米国も日本も、大東亜戦争の歴史を児童に教えていない。

東京裁判は、「一般市民の大量虐殺や原爆投下など、アメリカの残虐な行為を隠すために行われた」という議論には説得力があります。

東京裁判の法廷の雰囲気は、非常に重く、暗く、悲痛なものだったそうです。アメリカ軍幹部たちもこの裁判を嫌悪していました。なぜなら、「法」に基づいてではなく、「戦勝国の論理」によって行われたからです。
 
 かたや唯一の国際法学者で、日本の無罪を主張したインドのパル判事の証言や調査結果は無視されました。事実が公平に反映されていません。あの裁判こそ「再審」する必要があります。
 
 大空襲や原爆投下という破壊行為に比べたら、日本軍がなしたと言われる戦争犯罪は、大した問題ではないとさえ言えます。

欧米では、原爆投下について議論を深めることはせず、東京裁判にいたっては、その存在を忘れかけています。

しかしアメリカ人は、そうした歴史から目を背けてはいけません。
歴史は、正しく書き直されなければいけないのです。(談)



ヘンリー・S・ストークス:
1938年英国生まれ。61年オックスフォード大学修士課程修了後、62年フィナンシャル・タイムズ社入社。64年東京支局初代支局長、67年ザ・タイムズ東京支局長、78年ニューヨーク・タイムズ東京支局長などを歴任。

●すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。

1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。(中略)

1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点であった。白人はその時、威名と実力の頂上に達したのである。

その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。(長瀬鳳輔訳『有色人種の勃興』政教社、147,151頁) ロスロップ・スタッタード(アメリカ、歴史学者

東京裁判では、本来裁かれるべき「侵略戦争をしたのはどちらなのか」は取り上げられなかった。 ヘンリー・S・ストーク

ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるという彼の最終的な目的を達成させた。 ハミルトン・フィッシュ(政治家「悲劇的欺瞞」(TragicDeception1983))

実はハミルトン・フィッシュの言うように、そもそも日本の領土への侵略戦争を始めたのはアメリカなのです。

下記の地図は、日露戦争後の日本の勢力図。
大東亜戦争が始まる前からアメリカは、満州朝鮮半島・台湾を狙い、中国を使って満州に侵略していました。

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アメリカの対日先制爆撃計画①  2013/8/13(火) 

大東亜戦争の始まる前年の1940年、ルーズベルトは大量の爆撃機パイロットを中国に送って、中国から日本本土の都市部を焼夷弾で爆撃し、焼けの原にしようとするJB-355と呼ばれた計画を立てました。これは一般市民への無差別爆撃であり、重大な戦争犯罪でした。

アメリカの対日先制爆撃計画②  2013/8/13(火)

1941年7月23日、ルーズベルト大統領は日本本土の都市部を焼夷弾で爆撃するJB-355計画にサイン。アメリカの戦闘機や爆撃機を中国軍に貸与。

中国空軍の中国人パイロットは腕が悪く、日本空軍に撃墜されたため、アメリカの空軍パイロットを一時的に退役させ、中国に送り込みました。

アメリカから中国に供与された第一陣、戦闘機100機の要員として、100名のパイロットと200余名のサポート要員が1941年6月初旬、サンフランシスコから船で出航しました。

アメリカの対日先制爆撃計画③

しかし、爆撃機が中国に送られる前、12月8日に日本の真珠湾攻撃が敢行され、アメリカの「特別航空戦隊」は、戦闘機のみの戦隊として日本軍に戦いを挑みました。

日本政府・軍部は、アメリカの先制爆撃計画の情報をつかんでおり、真珠湾とフィリピンの米軍基地、それに中国内陸部への攻撃によって、米爆撃機の中国移送を不可能にさせました。 (以下省略)

       ☆
アメリカの狙いの概要地図は下記の通り。
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アメリカは、南方諸島を植民地化し、更に植民地を拡大しようとすると日本が邪魔故に、アメリカにはどうしても日本と戦争をする必要がありました。
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と言っても、ルーズベルトはこの1940年(真珠湾攻撃の前年)に3選を果たしたのだが、その時の公約は、欧州で生じていた第2次大戦に米国は 決して参加しないというものでした。当時、参戦に賛成する米国民は3%しかいなかったのです。

どうしても第二次対戦のヨーロッパ戦線に参戦したいルーズベルトは先ず日本と交戦し、日独伊三国同盟を理由に欧州にも出兵するという策略を描き、そのとおり実行しました。

大東亜戦争(太平洋戦争)が終わり、更に続く朝鮮戦争が終わってみると、共産主義国家が勢力を拡大する結果となりました。

当然と言えば当然の結果と言えます。
ルーズベルト大統領は共産主義者であり、ソ連のスパイとの見解もあるのです。
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他方、日本は戦争に破れはしましたが、日本陸軍が協力し育成した各国の人々は独立戦争を勝ち抜いていきました。そしてそれまでの米国・英国・仏国・オランダ・独国の植民地は悉く独立していきました



今日、二回目の更新記事
大東亜戦争(太平洋戦争)の世界からの日本の評価(1)』

(注)

日本人なら思わず涙する日本はすごい国・日本人のすごいところ(ユーチューブ)

https://www.youtube.com/watch?v=hCN9inLlbL4