淵名さまへ


淵名さま

初めまして。

自己紹介は後にして、取り敢えず、はしょります。

私は淵名氏は信濃の鮎川氏に随行して秋田の由利地方にきたものと思っていました。処が、どうやらそうではなく、それ以前から由利地方に来ていたようです。

(参考)
私のルーツ探索(4)室町時代の淵名氏は祖先なのか?   2012.08.31


由利に信濃(長野県)の小笠原一族が下向したのは応仁元年(1467年)。(注)下向とは⇒げこう、格下の土地に移動すること。

この時、鮎川小平太も信濃から下向し、由利町鮎川に居を構えている。

      ☆

史実にある秋田・鮎川の渕名家(菩提寺永泉寺)の嫡流は、私が書いているように平成に途絶えましたが、あなた様淵名氏が、鳥海山の麓に何世代前からお住まいとすると、上記の私の仮説は違ってきます。

とすると、昭和16年秋田魁新報の下記の記事が信憑性を帯びてきます。史実に合致するからです。

   ☆

(参考)

私のルーツ探索(5)郷土史家の書く渕名家

渕名家一党の事績


今から八百年前(西暦1100年代前半)の鎌倉期に、清和源氏の名流渕名家の一党が出羽に落ち延びるが、鳥海山麓に住みついたという口伝は永く史家の間に喧伝(けんでん)されて注目を引いた。(昭和16年秋田魁新報

                    ☆
イメージ 2

(参考)
あなた様が申していました渕名刑部作とされる金峰神社獅子頭、ネットで確認しました。

あなた様も私も明治6年編纂の壬申戸籍、もしくは昭和30年代前半までの戸籍を見ることが出来ましたら、何等かの新たなことが分かるかもしれません。

と申しますのは、これらの戸籍にはこの明治6年の時点で7世代前まで記入されているのです。

何れにしても淵名刑部と書かれていますから、武士であることは間違いないですね。

(注)私の父方の昭和32年頃の戸籍を見たことがあります。そこには関ヶ原の戦い(1600年)の頃からの祖先の名前が書かれていました。

(参考)金峰神社 秋田県にかほ市象潟町小滝 (奈曽の白滝の傍)

(参考)金峰神社獅子頭が渕名刑部により作られたという延宝8年(1680)前後の記録に残る渕名家に関しては私のブログ記事より一部を抜粋しました。

私のルーツ探索(5)郷土史家の書く渕名家 2013/9/16(月)

①「出羽風土記」より

曹洞宗慈雲山瑞光寺 当寺の開基詳ならず。寛永15年(1638年)蒲田館主渕名豊前守再建と云う」 これから推測されることは、この時は既に六郷家(本荘藩)に仕えながらも、猶、地方の豪族として隠然たる勢力を持っていて、瑞光寺(現、由利本荘市鮎川)を再建。

高橋栄家の古文書より
「鮎川郷中高目覚 慶安三年(1650年)六月 渕名藤兵衛筆」

③「高山家所蔵の分限帳」より
慶安三年(1650年) 渕名茂兵衛 26俵三人御扶持(ぶち)
注)二代目政勝公時代の禄高。

④「高山家所蔵の分限帳」より
延宝二年(1674年)
渕名茂兵衛 36俵 二人御扶持 御蔵方
注)三代目政信公時代の禄高。

⑤「本荘藩分限帳第八巻」より
宝永四年(1707年)
渕名忠兵衛 36俵 二人御扶持 御目付
注)四代目政晴公時代の禄高。


                    ☆

ここで一気に新たな仮設に飛びます。

裏付け資料の一部は『吾妻鏡』と『太平記』です。
更なる詳細はこれから探しますが、恐らく発見は困難かもしれません。

吾妻鏡による家系図は下記の図の通りです。

(参考)
吾妻鏡』または『東鑑』(あずまかがみ、あづまかがみ)は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、1180年(治承4年)から1266年(文永3年)までの幕府の事績を編年体で記す


イメージ 1

吾妻鏡』と『太平記によると淵名氏は兼行から始まっている

平安時代末期、前太平記によると、淵名庄は上野国那波郡にあった大庄で、淵名兼行、兼助、武行の三人は、源義家に従い、陸奥において戦功を立てたという。

この兼行の子孫が淵名氏の嫡流であって、その子孫は下野及び東上野に大いに栄え、下野に足利氏、佐野氏、赤堀氏、上野に太田氏、山上氏、園田氏、大胡氏、林氏、佐井氏、大屋氏、吉海氏、などを出している。(← 淵名一族)

(参考)「前太平記

平安時代中期から後期にかけての事変・合戦を、清和源氏7代の人々との関係を中心に歴史を綴った通俗史書
全四十巻目録1巻。藤元元作。天和元年(1681)ごろの成立。

平将門藤原純友の反乱、源頼光と四天王の活躍(茨木・土蜘蛛・酒呑童子退治)、源頼義・義家の武功(前九年・後三年の役)がハイライト。

この三件が「将門純友」「四天王」「奥州攻」という呼称で浄瑠璃・歌舞伎の<世界>となり三つを総称して[前太平記の世界]とも括る。

                    ☆

思うに、江戸時代以前も以降も秋田の田舎で『淵名』に改姓や系図の創作・詐称は無かったということです。

私が以前秋田県内に淵名の家が何軒あるか調べたことがあります。確か、秋田県内では淵名と渕名を合わせて3軒しかなかったはずです。
今、改めて調べましたら、1軒だけです。


       
私のルーツ探索(1)祖母淵名家 2012.08.24
私のルーツ探索(2)全校生徒で演じる淵名孫三郎とは?   2012.08.27
私のルーツ探索(3)淵名孫三郎の碑        2012.09.29
私のルーツ探索(4)室町時代の淵名氏は祖先なのか?   2012.08.31
私のルーツ探索(5)郷土歴史家の書く渕名家  2013.09.16
『私のルーツ探索(6)史料編・古文書①』    2013.09.07
『私のルーツ探索(6)史料編・古文書②』     2013.09.11
『私のルーツ探索(6)史料編・古文書③』     2013.09.11
『私のルーツ探索(6)史料編・古文書④』          2013.09.11