琵琶湖の昭和の灯がまた一つ消える


琵琶湖の紅葉館が今年(2013年)1月末日に閉店するとの発表が昨年あったとは一昨日知りました。

紅葉館に出入りするようになったのが昭和40年(1965年)頃からでしょうか。未だ温泉を掘り当てていない時です。
 
(注)滋賀県庁に環境課が新設された時の琵琶湖への排水調査対象宿泊施設では、確かここ紅葉館と琵琶湖グランドホテルでした。

(参考)私の履歴書・20歳代番外編
「琵琶湖に真っ赤な排水を流していた時代」


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当時、紅葉館(旅館)を経営した丸玉観光(京都市下京区パチンコ店経営)の木下社長が、石山温泉と雄琴温泉の中間だから温泉が出るかもと、当時のお金で980万円を投じ、田んぼの真ん中で掘削。掘り当てました。

注)上の拡大図で上(北)が雄琴温泉。下(南)が石山温泉。中間が紅葉館。

それから大攻勢が始まったのです。
雄琴温泉にトルコ街が出来る以前のことですね。
尚、当時、雄琴温泉はひなびた静かないい温泉でした。

記憶にある雄琴温泉宿と言えば、国道161号線沿い湖水側は、芭蕉園、国華荘、きくのや、雄琴荘。山手に上がっては雄山荘でしたね。それと湖水に突き出した形の場所には琵琶湖グランドホテル。
 
然し、紅葉館や紅葉パラダイスのテレビCMを近畿のみならず東京、福岡まで流していたとは驚きです。
 
尚、私が会っていた人は、紅葉館の横田さん(当時30歳中半?)で、最初にお会いした時は施設課長。未だ温泉が出ていないとき、彼と掘削現場に見に行った記憶があります。彼は木下社長の信頼が厚くトントン拍子に出世していきました。
 
昭和40年代終わり頃、私は仕事も変わり、然も関西を離れましたから、その後の紅葉館の展開は分かりません。2004年に全施設を売却していたのですね。そしてこの2013年1月末で閉店。

戦後の昭和時代に出来た琵琶湖の名所は次から次へと消えていきますね。

残るは琵琶湖(サンケイ)バレイ、琵琶湖競艇場雄琴ソープランドでしょうか。

  ◆       ◆       ◆


以下、紅葉館に関しての画像と閉店を告げる記事等。

※私が最初に紅葉館を訪問したときは、木造でした。

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無論、新館が出来てからも、ずっと木造の旧館をも使っていました。





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【「びわ湖温泉紅葉」が閉館 半世紀の歴史に幕】

大津市茶が崎の老舗ホテル「びわ湖温泉紅葉」を経営する「びわ湖紅葉」(大津市)が、同ホテルを来年1月いっぱいで閉館する方針を関係先に伝えたことが16日、分かった。

 すでに旅行会社など複数の取引先に閉館を告げる文書を配布している。同社は「今の時点で何も言うことはないが、時期がきたら説明する」(総務部)としている。

 同ホテルは1964年に旅館経営の丸玉観光(京都市下京区)=2005年解散=が開設した。

 1966年に隣接地に遊園地やプールなどの総合レジャー施設「紅葉パラダイス」を開設し、人気を集めたが、バブル崩壊後の集客減と設備投資に伴う借入金の増加が経営を圧迫し、2004年に京都市中京区のレジャー会社に売却した。びわ湖紅葉は、レジャー会社がグループ会社として設立した。

 関係者によると、新たな経営体制に移行後、飲食施設の改装などを実施したが、利用客の大幅な回復には至らなかったうえ、施設の老朽化が進んでいた。

 信用調査会社によると、昨年6月期は売上高24億円、純利益6700万円で、金融債務は40億円。
 会社から説明を受けた男性従業員は「あまりにも急で驚いた。地元から愛された施設で本当にさみしい」と話している

決算期      売上高      利益   単位:千円)
平成22年6月期  2,429,335   26,048
平成23年6月期  2,432,380   66,621
平成24年6月期  2,719,760   139,544 



閉館のごあいさつ

紅葉パラダイス写真

琵琶湖グランドホテル



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