我家の猫〈チャペ)の死

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私の履歴書
〈チャペの死〉
私が小学校三年の春の或る日の早朝、近所の女の子が、我家の猫のチャペを抱いてきました。
チャペは、苦しそうに低い声で「ニャ~、ニャ~」鳴くのです。

どうやら、農家が田んぼに蒔いたネズミ駆除用毒だんごを食べたようです。
水を飲ませたら毒が一気に回るので水を飲ませられないのです。

だんだん鳴き声がか細くなっていきます。
とうとう、学校に行かなければならない時間となりました。親の目が光っていますから、学校を休む訳にはいきません。



昼休み時間の鐘が鳴るなり飛び出し、あぜ道を一目散。急いで家の南京錠を外し中へ。
チャペの声はもう消えていました。身動き一つしませんでした。

私はあらん限りの大きな声で叫びました。泣きながら。
「チャペ!!」「チャペ!!」

その時、チャペは、ピクリ!と、一度だけ、微かに、右足を動かしたのです。
私は、続けて何度も何度も狂ったように叫びました。「チャペ!!」「チャペ!!」

でも、この、たった、たった一度だけでした。

                             続く




追記)2012.09.04

チャペが我が家にきたのは、私の就学前の直根(ひたね 秋田県由利郡直根村中直根 現在由利本荘市中直根)時代です。

チャペの生んだ子猫のうち一匹を、象潟(現、にかほ市象潟)の蚶満寺(かんまんじ)のお母さんがわざわざ直根までもらいにきました。

車の無い時代ですから国鉄象潟駅から羽後本荘駅へ。そこから国鉄矢島線(現、由利高原鉄道)で終着の矢島駅下車。更にそこからバスに乗ってきたのでした。

チャペの子がどうしているのかな?と思い、家族で蚶満寺に見に行ったこともありました。