それ、本当?

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先週日曜日の日経に「東海道五十七次」の記事が掲載されていました。

私達が習ったのは「東海道五十三次」であり「お江戸日本橋から京都三条大橋」までですね。
ところが、徳川幕府の公文書では「五十七次」だそうです。

つまり、弥次さん喜多さん、それに広重さんも、京都⇔大阪間は、伏見から三十石船に乗船したらしいですよ。 無論、伏見→淀→枚方→守口の四つの宿場には寄らなかったと言う事になります。びっくり!!


小さい時に習った事での大きな違いは、「地震なまず」でしょう。
地震が起きる前になまずがはねる!」は、迷信で非科学的なものと否定されて教えられていたものですが、今や、科学的事実。


イソップ童話「ありときりぎりす」も、違いましたね。
本来原作は「ありとせみ」なのですが、寒い国にせみはいないので、きりぎりすに代わったのですね。

「せみ」は、何年もの長い間、地中で辛抱をし、夏に一気に種族保存の使命を果たす意味が、「きりぎりす」に置き換えられる事により、夏に遊んでばかりいて冬を過ごせない先を見ない事の愚かしさに変化。


更に面白いには、「桃太郎」でしょうね。

私達は、どんぶらこ!どんぶらこ!と川を流れてきた大きな桃から桃太郎が生まれたと聞いていますが、江戸時代中期から明治初期にかけては違ったようです。

川からどんぶらこと流れてきた桃を拾って、お爺さんとお婆さんは食べました。
すると、とたんに若返り、青春して子供が出来ちゃった! 今で言うと、この桃はバイアグラ

その子供が桃太郎。この青春しての内容が、教育上良くないので、桃から生まれた事になった訳ですね。

明治中期には、尾崎紅葉作「鬼桃太郎」の内容が主流のようでしたよ。
つまり、桃太郎と言う人物は、鬼より非道。

桃太郎は鬼を退治に鬼が島に渡るのですが、渡った日の夜は隠れていて、その翌日の夜に、鬼の村を襲うのですよ。

襲った夜は、鬼の村祭り。若手の鬼さんたちは、家を留守にして祭りに出かける。
家に残ったのは、老いた爺さん婆さんの鬼のみ。

ここを狙い定めて襲い、皆殺しにして金銀財宝を奪うのです。
鬼の視点からは、「何と卑劣な!にっくき奴・桃太郎!」

こんな調子ですから、私達が習った歴史、果たして、どこまで事実だったでしょうか?

      (写真は、京都・伏見・月桂冠酒造の近く。観光船のエンジン付き十石船)