先例?宮中は創価学会の巣窟
美智子皇太后の場合を前例とするならば、宮中、宮廷は創価学会員だらけとなる。何となれば、雅子皇后は創価学会員であり、徳仁(なるひと)今上(きんじょう)天皇も、創価学会シンパであるからだ。尚、徳仁天皇は、皇太子時代、英国留学中、付き添いの創価学会員で宮内庁職員によって洗脳されたと言われている。
さて、宮中・宮廷は創価学会員だらけとなり、学会員以外の者は追い出される根拠は下記の国会質問にある。
第031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
(一部抜粋)
○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。
※『謎の一夜の秘密』 2017/5/5(金)
其の一)
其の二)
石清水八幡宮、伏見稲荷、出雲大社でも、徳仁皇太子の東宮家だけが神饌料(しんせんりょう)の献辞が無い。靖国神社でも徳仁皇太子の東宮家だけが玉ぐし料を出さず。創価学会は反神道であり、神饌料の献辞は、創価学会の教えに反するからである。
其の三)
これを裏付ける事態が発生し、周囲を慌てさせた。ブラジル訪問中の皇太子殿下は、現地で鳥居をくぐることを拒否された。この鳥居は、どこの神社のものではなく、無論、宗教的な意味はなく、富士山の絵と同様、単に日本人街の入り口であることを象徴したものに過ぎない。言うならば横浜中華街の各入口にある10基の牌楼(門)のようなものである。
其の四)
其の五)
徳仁(なるひと)天皇の皇太子時代、徳仁皇太子と雅子妃にとって公務・祭祀は創価の反神道の精神に背く故に、公務・祭祀は少なすぎ、高齢の天皇に負荷をかけていると指摘されてきたが、徳仁皇太子にとっては馬耳東風であった。
秋篠宮両殿下 週5日前後
皇太子殿下 ひどい時は月に3回
雅子妃 年に数回
其の六)
無論、雅子皇后が皇太子妃当時、病気と称して一切の公務・皇室行事をキャンセルした日でも私的な外出をされてきており、その代表例が外務省創価学会の巣窟『大鳳会』(おおとりかい)の連中とホテルのレストランで喜々としディナーをしていたことであろう。(週刊文春2005年2月10日号159ページ)
其の七)
『ブラジルへは秋篠宮御夫妻派遣で大正解』 2015/10/28(水)
(参考1)
『韓国が建てた雅子妃母子像の真偽の検証』 2017/1/21(土)
(参考2)
日本国外務省には平成17年現在で創価大学の卒業生が41名。
話は1970年代に遡る。
その先端として組織内に、学会員の師弟たちを一流の大学に進学させようという目的で作られたのが「鳳雛(ほうすう)会」である。
とくに池田氏が切望したのは法曹会と外交官で、そのために、国家試験を突破させるために、さらに「法学委員会」といった勉強会サークルを発足させた。(中略)
同会のサークルなどから司法試験に合格した学会員は「旭日グループ」と呼ばれ、また外交官や務省採用試験に合格した学会員は、「大鳳会」というグループに名前を連ねた。(以後省略)
この日本ユニセフと対をなしているのが、統一教会によって作られた「ひまわりの会」というNPO法人だ。こちらもかなり怪しい慈善事業団体だが、こちらは自民党系の人々によって組織された「偽善」団体であり、日本ユニセフは公明党系の人々によって組織された「偽善」団体と見ていいと思う。
自民党と公明党が手を組んだのは、与党になるために足りない議員数を補い合うためではなく、もともと裏では一つにつながっており、それをまるで与党になるために手を組んだかのように装っていただけということ。彼らは二つにして一つの組織(金融ユダヤの手先)なのだ。
(この記事の抜粋先)